このcosenseの利用方針について
思考に書いてもよかったが、直でページにした方が分かりやすいと思ったので。
まず、初めに言っておくと、このcosenseをまともに使う気はない。
具体的に言うと、他の人のようにメモや情報の収集等の行動をしない、という事だ。
なぜそうしないのか、という問いはなぜそれをするのかという問いに比べて非常に答えるのが難しいけど、簡単に言うとメモを取らない主義だからだ。多分、いつかの日記にも書いた気がする。
このcosenseの目的は、音MAD作者「球体群の調和」の見本市だ。
要するに、このcosenseの記事を読めば、球体群の調和が何を好いていて何を嫌っているか、どの大学に行っていて何を学んでいるか、どれだけ性格が悪くてどれだけ嫌らしい人間なのかが分かるという事。
おそらく、この情報の海からわざわざここまでたどり着くような人は、多少なりとも球体群の調和に興味を抱いている人だろうという推測から逆算した結果の定義づけでもある。興味がある人にだけ自分を知ってもらえるなら、それ以上のことは無い。
だから、このcosenseを隅々まで見ても、見た人の新たな知見となるような面白い情報は載っていない。基本的に日記と、時々球体群の調和のハマっているものや思考、昔話ぐらいのコンテンツしか上がってこないので、読む人はその点を考慮してほしい。
cosense独自の機能として、それぞれのページを共通要素で紐づける機能があるけど、今のところやっていない。やりたくないわけでは無いけど、わざわざ昔のページを見返して色々やるのも面倒くさい。しかし、それをやった方が特定のコンテンツに対する球体群の調和の考えが見れるので、見ている人にとっては嬉しいかもしれない。
余談だけど、普段人に見られるという事をあまり意識していない割に、ことcosenseに関してはかなり人に見られることを意識している。というか、人に見られることしか考えていない。
日記10/1で、文章力を鍛えるために始めたと語った、つまり自分の為にやっていると言っていたけど、初めて数日で意外と文章がすらすらと出てしまう事に気づいた。それと同時に、絶対にバレないと思って居たのにそこそこの人から見られている事にも気づいた。そこらへんから、完全に方針をシフトしたと思う。やっていることは変わらないけど。
はっきり言って、自分しか見ていないなら日記を書く必要なんて1mmもない。一日にあった出来事を後で見返す必要なんかないし、実際始めてから見返したのは本当に数回しかない。文体も含めて、このcosenseが最も他と違う点は、だれの為にやっているかという意識の差だと思う。
そもそもなんでcosenseを使っているのかと言われると、前にページを作ってたからとしか言えないけど、こういう使い方がダメな理由もないはずだ。
一応利点としては、文章間の主従関係が視覚化できるという点がある。これがあるから、思いついた順で適当に書き並べても上手く収まっている。それしかないかもしれない。
今昔の日記を読み返していて気付いたけど、明らかに昔と今で改行の数が違う。これも、意識の変化によるものかもしれない。