1.8 「むかでらん」の学名発表
私はここに矢田部先生のそういう圧迫に抗し、如何なる困難も排除し、『日本植物志』を続刊しようと決心し、自分の採集した新しい植物に学名を附し、記載文を書き、これを誌上に発表してやろうと決心した。池野君もこれに賛成し、色々と助力を与えてくれた。
その頃、わが国では植物に学名を附す事はまだ誰もやっていなかったが、私は『日本植物志』第七集から卒先して植物に学名を附し、記載文を発表しはじめた。この第七集にはじめて学名及び記載文を附して発表した植物は「むかでらんむかでらん.icon」であった。 第七集は、明治二十四年四月に出たが、続いてどしどし刊行され、同年十月には、第十一集に達した。これらの出版は、私が民間にあってやっていたもので、全くの自費出版であった。第十二集の準備をしている時、郷里から財産整理のため、一応帰国してくれと慫慂しょうようしてきたので、私は明治二十四年晩秋に高知へ帰った。 私は帰国に当たり、今度上京したら、矢田部先生と大いに学問上の問題で競争しようと決意した。矢田部先生が、常陸山ひたちやまであるならば、私は褌ふんどしかつぎであるから、相撲としても申分のない対手だった。