1.6 『日本植物志』に対する松村任三博士の絶讃
『日本植物志』第一巻第一集が出たのは、明治二十一年十一月であったが、当時大学の助教授であった松村任三先生は、私のこの出版を非常に讃め称えてくれ、私のために特に批評の筆をとられ、その中には、「余は今日只今、日本帝国内に、本邦植物図志を著すべき人は、牧野富太郎氏一人あるのみ」の句さえあった。 松村先生は、当時独逸ドイツから帰朝されたばかりで専ら植物解剖学を専攻され、分類学はまだやっておられなかった。
図篇の版下はんしたは、総て自分で画き、日本橋区呉服橋にあった刷版社で石版印刷にし、神田区神保町にあった敬業社で売らしていた。この図篇は、第二集、第三集と続いて出版された。 露国のマキシモヴィッチ氏はこれに対し非常に中の図が正確であるといって、遥々はるばる絶讃の辞を送ってきた。