1.5 「破門草事件」
明治十九年頃は大学では植物を研究していたがまだ学名をつける事はせず、ロシアの植物学者マキシモヴィッチ氏へ、標品を送って学名をきめてもらっていた。私も標品をマキシモヴィッチ氏に送っていた。マキシモヴィッチ氏は私に大変厚意を寄せてくれ、本を送って来るにつけても、大学に一部、私に一部という風であった。 その頃、「破門草事件」という事件があった。ことの真相を知っているのは今日では私一人であろう。
それは矢田部良吉教授が戸隠山で採集した「とがくししょうま」の標品を、マキシモヴィッチ氏に送った。ところがマキシモヴィッチ氏は、その植物を研究したところ、新種であったので、これに矢田部さんに因んでヤタベア・ジャポニカという名をつけた。それについても少し材料が欲しいから、標品を送るように手紙が教室にきた。この手紙のことをある時、教室の大久保さんが、その頃よく教室にきた伊藤篤太郎君に話した。大久保さんは、伊藤の性質をよく知っているので、この手紙を見せるが、お前が先に名を付けたりしないという約束をした。ところがその後三ヵ月程経ってイギリスの植物雑誌の「ジョーナル・オブ・ボタニイ」誌上に同じ植物に関し伊藤が報告文を載せ、「とがくししょうま」にランザニア・ジャポニカなる学名を付して公表していた。 これを見て、矢田部・大久保両氏は大変怒り、伊藤篤太郎に対し教室出入を禁じてしまった。この事から、「とがくししょうま」の事が「破門草」と呼ばれたわけである。
私は伊藤君は確かに徳義上よろしくなかったが、同情すべき点もあったと思う。「とがくししょうま」は矢田部氏が採集する前に、既に伊藤がこの植物を知っていて、ポドフィルム・ジャポニクムなる名を付し、それがロシアの雑誌に出ていた。だから彼にして見れば自分が研究した植物に「ヤタベア」などと名をつけられては面白くなかったのだろうと思う。
ともあれこの件により、伊藤篤太郎とトガクシソウは「日本で初めて学名をつけた人物」「日本人により学名を付けられた最初の植物」とされている。