1.3 東京近郊における採集
その頃、東京近郊の採集は、盛んにやったが、ある時岐阜の学校にいた、三好の同郷の男の森吉太郎という男が、上京して来た折、三好・森・私の三人で平林寺平林寺.iconに採集に出掛けたことがあった。その頃は交通は全く不便で、西片町の三好の家から出発し、白子・野火止・膝折を経て平林寺へ出るというコースで、往復十里余も歩いた。 これは新座あたりの地名
その時平林寺の附近で、四国では見られない「かがりびそうかがりびそう.icon」をはじめて採集したことを憶えている。 三好学と私とは、仲がよかった。三好はどちらかというと、もちもちした人づきの悪い男だった。岡村金太郎は、三好とは反対の性格で気持の極めてさらさらした男だった。三好と岡村とはよく喧嘩をした。岡村が書庫の鍵を失くし三好がそれを教授に言いつけたとかで、えらい喧嘩のあったこともあった。 池野成一郎とも私は大変親しくした。池野は頭の良い男で、フランス語が上手だったが、英語も一寸の間に便所の中か何処かで簡単に憶えてしまった。池野については、別に詳しく述べることにする。 東京の生活が飽きると、私は郷里へ帰り、郷里の生活が退屈になると、また東京へ出るという具合に、私は郷里と東京との間を、大体一年毎に往復した。
市川延次郎(後に田中と改姓)・染谷徳五郎という二人の男が、当時選科の学生で、植物学教室にいたが市川は器用な男で、なかなか通人であり、染谷は筆をもつのが好きな男だった。私はこの両人とは極めて懇意にしていた。市川の家は、千住大橋にあり、酒店だったが、私はよく市川の家に遊びに行った。