1.18 世界的発見の数々
昔、徳川時代の学者は木曾や日光に植物採集に出掛け随分苦心したというが、私の採集旅行の足跡に比べたら物の数ではないと思う。
私は胴籃を下げ、根掘りを握って日本国中の山谷を歩き廻って採集した。しかもそれは昔の人とは比べものにならない程頻繁で且つ綿密なものであった。なるべく立派な標品を作ろうと、一つの種類も沢山採取塑定し、標品に仕上げた。この標品の製作には、私は殆んど人の手を借りたことはなかった。こうした努力の結晶は今日、何十万の標品となって、私のハァバリウムに積まれている。 私はこれらの標品を日本の学問のために一般に陳列し、多くの人々の参考に供したいと、つねづね考えているが、資力がないために出来ず、塵に埋らせて置くを残念に思っている。
私はこうして実地に植物を観察し、採集しているうちに随分と新しい植物も発見した。その数ざっと千五、六百にも達するであろうか。また属名・種名を正したり、学名を冠したりした。そのため、私の名は少しく世に知られてきた。
私の発見中、世に誇り得るものと考え、植物学上大いなる収穫であったと信ずるものの名を次に挙げて見たい。