1.16 池野成一郎博士との親交
池野成一郎君は明治二十三年東大の植物学教室を卒業したが、私は彼とは極めて親しく交際した。池野と私とは、自然に気が合っていたというのか親友の間柄であった。東京郊外への採集にも二人で屡々出掛けた。アズマツメクサアズマツメクサ.iconは、明治二十一年日本に産することが、はじめて判った植物だが、これも私と池野とが大箕谷おおみや八幡下の田圃たんぼで一緒に発見したものだ。池野は非常に学問の出来る秀でた頭脳の持主で、かの世界的発見たるソテツの精虫の発見などは、あまりにも有名な業蹟である。平瀬作五郎のイチョウの精虫発見なども池野に負うところが少なくない。 池野は、はじめから私に対し人一倍親切であったし、私も池野に最も親しみを感じていた。『日本植物志』の刊行に際しても、また矢田部教授の圧迫を受けた時も、私は同君の大いなる助力を受けた。池野の友誼は私の忘れ得ないものだ。
大学卒業後、池野は滅多に植物学教室へ見えなかったが、たまには来た。私は他から「僕は牧野君がいるからそれで行くのだ」といっていたと聞き、この上もなく嬉しく感じた。池野が夏に私の家へ訪ねて来ることがあると、早速上衣を脱ぎ、両足を高く床柱へもたせ、頭を下にし体を倒さかさまにして話をしたりしたものだ。こんな無遠慮なことが平気な程二人は親しかったのだ。