1.15 可憐の妻
その間、私の妻は私のような働きのない主人にも愛想をつかさず、貧乏学者に嫁いできたのを因果だと思ってあきらめてか、嫁に来たての若い頃から芝居も見たいともいわず、流行の帯一本欲しいといわず、女らしい要求一切を放って、陰になり陽になって絶えず自分の力となって尽してくれた。
この苦境にあって、十三人もの子供にひもじい思いをさせないで、とにかく学者の子として育て上げることは全く並大抵の苦労ではなかったろうと、今でも思い出す度に可哀そうな気がする。
こうして過ぎゆくうちにも松村教授との※(「目+癸」、第4水準2-82-11)離のことがあって、私の月給はなかなか上げてもらえなかった。箕作みつくり〔佳吉〕学長は私に「君の給料も上げてやりたいが、松村君を差置いてはできない」といわれた。 この苦境の中にあって私は決して負けまいと決心し、他日の活躍に備え潜勢力を貯えるのがよいと考え、論文をどしどし発表した。しかし金銭の苦労はともすれば、研究を妨げ、流石さすがに無頓着な私も明日は愈々いよいよ家の荷物が全部競売にされるという前の晩などは、頭の中が混乱してじっと本を読んでもいられなかった。この苦しい時に、私は歯をくいしばりながら一心に勉強し、千頁以上の論文を書きつづけた。この論文が後に私の学位論文となったものである。