1.14 執達吏の差押、家主の追立
大学の助手時代初給十五円を得ていたが、何せ、如何いかに物価が安い時代とはいえ、一家の食費にも足りない有様だった。月給の上らないのに引換え、子供は次々に生れ、十三人も出来た。財産は費いはたし一文の貯えもない状態だったので、食うために仕方なく借金もしなくてはならず、毎月そちこちと借りるうちに、利子はかさんでくる。そのうちに執達吏に見舞われ、私の神聖なる研究室を蹂躙じゅうりんされたことも一度や二度ではなかった。積上げた夥おびただしい標品、書籍の間に坐して茫然として彼等の所業を見守るばかりであった。一度などは、遂に家財道具が競売に付されてしまい、翌日知人の間で工面した金で、やっと取戻したこともあった。 13人!
家賃も滞りがちで、立退きを命ぜられ、引越しを余儀なくされたことも屡々しばしばであった。何しろ親子十五人の大家族だから、二間まや三間の小さな家に住むわけにもゆかず、その上、標品を蔵しまうに少なくとも八畳二間が必要ときているので、なかなか適当な家が見つからず、その度たびに困惑して探し歩いた。
こうした生活の窮状を救い、一方は学問に貢献しようとして『新撰日本植物図説』を刊行した。その序文には次のようにしたためてあった。
『新撰日本植物図説』序文
余多年意ヲ本邦ノ草木ニ刻シテ日々ニ其品種ヲ探リ其形色ヲ察シ其異同ヲ弁べんジ其名実ヲ覈ただシ集メテ以テ之ヲ大成シ此ニ日本植物誌ヲ作ルヲ素志そしトナシ我身命ヲ賭とシテ其成功ヲ見ント欲ス嚢さきニハ其宿望遂ニ抑フ可カラズ僅カニ一介書生ノ身ヲ以テ敢テ此大業ニ当リ自ラ貲しヲ擲なげうツテ先ヅ其図篇ヲ発刊シ其事漸ク緒ちょニ就つきシト雖いえどモ後幾いくばクモナク悲運ニ遭遇シテ其梓行しこうヲ停止シ此ニ再ビ好機来復ノ日ヲ待ツノ止ム可カラザルニ至レリ居ルコト年余偶々たまたま乏ぼうヲ理科大学助手ニ承ケ植物学ノ教室ニ仕フ裘葛きゆうかつヲ更かフル此ニ四回時ニ同学新ニ大日本植物誌編纂ノ大業ヲ起コシ海内幾千ノ草木ヲ曲尽シ詳説しょうせつヲ経けいトシ精図ヲ緯いトシ以テ遂ニ其大成ヲ期シ洵まことニ此学必須ひっすノ偉宝ト為サント欲ス余幸ニ其空前ノ成挙ニ与リ其編纂ノ重任ヲ辱かたじけのフスルヲ得テ年来ノ宿望漸ク将ニ成ラントスルヲ欣よろこビ奮ツテ自ラ其説文ヲ起コシ其図面ヲ描キ拮据きっきょ以テ日ニ其業ニ従ヘリ而シテ其書タル精ヲ極メ微びヲ闡ひらキ以テ本邦今日日新学術ノ精華ヲ万国ニ発揚スルニ足ルベキモノト為サント欲スルニ在ルヲ以テ之ヲ済なス必ズヤ此ニ幾十載ノ星霜ヲ費ス可ク其間日夜孳々しし事ニ之レ従ヒ其精神ヲ抖※(「てへん+數」、第3水準1-85-5)とそうシ其体力ヲ竭尽けつじんスルニ非ザルヨリハ何ゾヨク此大業ヲ遂ゲ以テ同学企図ノ本旨ニ副そフヲ得ンヤ此ニ於テカ専心一意之ニ従事センガ為メニ始メテ俗累ぞくるいヲ遠とおざクルノ必要ヲ見ル」余ヤ土陽僻陬どようへきすうノ郷ニ生レ幼時早ク我父母ヲ喪うしなヒ後初メテ学ノ門ニ入リ好ンデ草木ノ事ヲ攻おさメ復また歳華さいかノ改マルヲ知ラズ其間斯学ノタメニハ我父祖ノ業ヲ廃シ我世襲せしゅうノ産ヲ傾ケ今ハ既ニ貧富地ヲ易かヘ疇昔ちゅうせきノ煖飽だんぽうハ亦何いずレノ辺ニカ在ル蟋蟀こおろぎ鳴キテ妻子ハ其衣ノ薄キヲ訴ヘ米櫃べいき乏ヲ告ゲテ釜中ふちゅう時ニ魚ヲ生ズ心情紛々寧いずくんゾ俗塵ノ外ニ超然ちょうぜんタルヲ得ン耶」既ニ衣食ノ愁アリ塵外じんがいノ超然得テ望ム可ラズ顧レバ附托ノ大任横ハツテ眼前ニ在リ進ンデ一ニ身ヲ其業ニ委スル能ハズ此ニ於テカ余ハ日夜其任務ノ尽ス能ハザルヲ憂うれヒ其公命ニ負そむクノ大罪ヲ惧おそレ又遂ニ我素志ノ果ス可ラザルヲ想ヒ時ニ心緒しんちょ乱レテ麻ノ如キモノアリ」余今ハ既ニ此大業ヲ執リテ※(「石+乞」、第4水準2-82-28)々こつこつ事ニ是レ従フト雖モ俗累ぞくるい肘ちゅうヲ内ニ掣シテ意ノ如クナラズ其間歳月無情逝ゆきテ人ヲ待タズ而シテ人生寿ヲ享うクル能ク幾時ゾ今ニシテ好機若シ一度逸セバ真ニ是レ一生ノ恨事こんじ之ニ過グルナシ千思せんし又万考ばんこう速すみやかニ我身ヲ衣食ノ煩累はんるいト絶ツノ策ヲ画スルノ急要ナルヲ見又今日本邦所産ノ草木ヲ図説シテ以テ日新ノ教育ヲ翼たすク可キ者ノ我国ニ欠損けっそんシテ而シテ未ダ備ハラザルヲ思ヒ此ニ漸ク一挙両得ノ法ヲ覓もとメ敢テ退食たいしょくノ余暇ヲ偸ぬすンデ此書ヲ編次シ乃すなわチ書賈しょこヲシテ之レヲ刊行セシメ一ハ以テ刻下教育ノ須要ニ応ジ一ハ以テ日常生計ノ費ヲ補ヒテ身心ノ怡晏いあんヲ得従容しょうよう以テ公命ニ答ヘント欲ス而シテ余ヤ素もト我宿志しゅくしヲ遂ゲレバ則チ足ル故ヲ以テ彼ノ大学企図ノ大業ニ従フヲ以テ我畢生ひっせいノ任トナシ其任ヲ遂グルヲ以テ我無上の娯楽トナスノ外敢あえテ富貴ヲ望ムニ非ズ今ヤコノ書ノ発刊ニ臨ミテ之ヲ奇貨きかトシ又何ゾ妄みだリニ巧言こうげんヲ弄ろうシテ世ヲ瞞あざむキ以テ名ヲ干もとメ利ヲ射ルノ陋醜ろうしゅうヲ為サンヤ敢テ所思ヲ告白シテ是ヲ序ト為ス」 然しこの書籍も私の生活を救うことにはならなかった。