1.11 矢田部教授の罷免
私が郷里で音楽普及に尽力している頃、東京では矢田部教授罷職事件が起っていた。
大学当局が、矢田部良吉教授を突如罷職にしたのである。その原因は、菊池大麓先生と矢田部先生との権力争いであったといわれる。 大学教授を罷職にされた矢田部良吉先生は、木から落ちた猿も同然で、憤慨してもどうにも仕方なかった。私は学問上の競争対手あいてとしての矢田部教授を失ったわけである。
矢田部先生罷職の遠因は、色々伝えられているが、先生は前に森有礼ありのりに伴われ外遊した事もあり、中々の西洋かぶれで、鹿鳴館にダンスに熱中したり、先生が兼職で校長をしていた一橋の高等女学校で教え子を妻君に迎えたり、「国の基」という雑誌に「良人おっとを選ぶには、よろしく理学士か、教育者でなければいかん」と書いて物議を醸かもしたりした。当時の「毎日新聞」には矢田部先生をモデルとした小説が連載され、図まで入っていた。 矢田部先生は罷職後も植物志を続けねばいかんといい、教室に出てきて『日本植物図解』を三冊出版されたが、後は出なかった。また先生歿後『日本植物編』が一冊出版された。矢田部先生は、大学を退かれて後、高等師範学校の校長になり、鎌倉で水泳中溺死し非業の最期を遂げられた。
なんと 増井俊之.icon
自殺なのかな?