何になりたいかではなく,何をしたいか
何になりたいかではなく,何をしたいか
説明を試みる
何になりたいかより何をしたいかが生産性において重要である
なりたい何かは途中の目標,あるいは通過点でしかない
本当に重要なのは何をしたいか
おそらく,何のために何をしたいか
社会的意義があるなら,面白そうだからでも良いだろう
キャリアは突き詰めれば何をするかに帰着する...かも
なりたい,の前に何をしたいかが来るのは自然だと思う
将来を考える時,最終的に必要なのは実像
曖昧な理想像をどんどん明確にしていく
最後は実像が,何をするのか,したいかが残る
何を得たいかではなくなりたいか,と言っている
ここに文脈の齟齬がありそう
僕は目標を立ててから動くのが良いと思っている
そういう話ではなさそう
何をしたい,は何のためにが含まれていそう
何を得たいか,は何をしたいか逆算で考える
こういうことを目指していて,やりたい
あるいは単純にやりたい
やりたいと思って,社会的な意義を考えるのもありかも
なりたいかはどういう意味だ?
生産性と言っているから,文脈的に何らかの成果が出る作業だと思う
何か作るとなってなりたい何かを考えるのは非常にナンセンスでは
考えたって作るのに何も貢献しない
何かには結果的になっていそう
なることは目的ではなく目標
いずれにせよ通過点のはず
したいことをやっていれば勝手になる
最終的な何をしたいが大切
やはり何をしたいかを考えるのはごく自然という結論になる