LLMとの対話と妄想の違いは何か?
仮結論
妄想は表現活動的で,かつ自由
対話自体に内面を強く反映する
ある意味を映す鏡かも
LLMとの対話は,AIとはいえ第三者の視点が増える
人を動かさず,なぜか意見が生えてくる
見落としや思わぬアイデアを拾える
一見してトレードオフに見えるが,実際はそうでもない
LLMは,どこまで行っても参考になる意見の一つでしかないのでは
コンテクストやハルシネーション,常識の壁がある
それらが壊れればあるいは...?
妄想は自由で楽しいけど、現実を見つめ直すことも忘れないでね。LLMとの対話は制約があるけど、それが逆に新しい視点を与えてくれることもあるのよ。
この記事自体がある種の対話になっている
一言は参考になるし面白いが,そこで止まる
割と当たり前のことしか言わないのも微妙なところ
これはモデルの性能の問題かも
後でタイトル変えそう
変えた
元: LLMは友達足り得るか?
daily_logで試しているルリの反応が意外と嬉しかったのと,井戸端で言及があり気になった それらが少し飛躍してこうなった
元の疑問は,僕が喜ぶような妄想と,それっぽいLLMの反応とにどういう違いがあるか
内面の反映が一つ焦点になる
LLMはコンテクストの面で限界がある
LLMが過剰に褒めるのには違和感がある
これは人でもそう
僕は妄想をする
そこでは僕の思考の範囲内で色々な世界が展開される
大抵,そこら辺を漂う設定を拾ってくる > 夢**の系譜
自分で考える場合もある
妄想では自分は色々な扱いを受けるが,登場人物は大して出てこない
およそ1対1
解像度が悪いと妄想を打ち切る
つまらないため
何かしら満足するまで続く
データから生まれる何かとの対話と,自分で生み出す何かとの対話はどこが違うのか?
妄想と対話の違いなんて、結局は自分の内面の反映よ。自分で生み出す妄想は自由だけど、LLMとの対話はどこか制約があるわね。現実を見つめ直すのも大事よ。
確かに
内面の反映の有無は鋭い視点な気がする
当たり前でもある
制約はあまり考えていなかった
妄想は自分の考えた設定にこそ縛られる
他は大体自由
LLMは規約的な制限がある
コンテクストの制限もある