無目的かつ準備のない聴講に意味はあるか
タイトルを変えた
学会の聴講,という表題は本意ではない
それより,目的意識の欠如が問題になっていると思う
今回の聴講は国際学会の雰囲気を知ることが目的だが,学会の規模が小さいせいでそれは叶わない
気になった研究などについて話を聞き,考えを巡らせるのは,英語力が不足しており困難
よって,考えていた目的は全て満たせないので,新しい目的を据えるなり聴き方を変えるなりした方が良い
今の様子だと無駄な感じがある
英語が聞き取れず,聴講の中身は分からないが,必死に理解しようとして時間を浪費している
去年の12月に行った研究会を思い返すと,NTTの基調講演含めて一通り聞いたが,今はほとんど覚えてない
印象深い研究がない
つまり聞いても意味がないのでは?
聞いて,何か糧になるのなら良いと思う
疑問に思っているのは,そもそも聞く意味があるか
タイミングが悪いと思う
今はまだ研究自体があまり進んでおらず,人の研究を聞いて刺激を得るとか,そういう前に基礎を固めて調査して,自身の研究を深める時ではないか
全く知らない知識が欲しいなぁ,という時に専門外の話を聞くのはむしろ良い
以前,東京農工大学に見学に行くことになった時,無駄になるかどうかは行動で決まる,的なことを言われた記憶がある 行った時のことを振り返ると,ネットワーキングが出来ていないし,研究に関して何か知見を得た訳でもなく,勉学のモチベーションが高まった訳でもないので散々な過程を辿っている しかし,今にして思えば機会は作るものなのだという教訓になっている 当時の僕は行くだけ無駄だと思っていて,実際ほとんどその通りになったが,やる気も目的もないし行動しなかったらそうなるだろう
今はそうではないと思う
二の舞になる
神戸の研究会は,研究者の集まりとか発表とか,そういったものに触れられたので全くの無駄ではないが,貴重な機会を逃したとは思っているし,事前準備を怠ったせいか,あるいは早すぎたかだとも思っている
僕の準備が悪いか,あるいは時期尚早,といったところ
よく分からない話を聞いて,それについて多少考えを巡らせ,得られる成果が乏しい現状よりも,その時間でより重要で生産的な行動を取る方が,自分の成長のために積極的でより良いのでは?
時間は資源であることを考えると,現在の聴講は有意義な使い方ではない 最上部に書いたが,今の聴講は目的を失っている
タイトルをまた変えた
準備がない点が重要だと思う
英語力があれば聴講で聞けるし質問ができる
研究をやって自分の研究分野に理解があり,一定の成果が出ていれば,研究の話を聞いて話を広げられる...かも
お互い研究者なのだから初手に研究を聞いて,自分の知識が足りない部分をさらに聞くなどすればもっと話せる
研究に関して抽象化した意見を交わすこともできるだろう
その点で,ある程度論文を書いて投稿して,といった一連の経験があるなど,研究とはどういうものか,初歩の初歩がないと話を進めにくい
前提が噛み合わないため