自責と他責
自責すべきときに他責、他責すべきときに自責するとヤバい
意外とどっちも同時に行ってるのでは?
→バランスが大事
自責すべき時 他責すべき時
自責 他責 両方
自責思考も他責思考もスキームの一つ。知っておけば視野が広がる。
物足りない 「自責か他責か」というテーマ自体が大したことじゃないのかも
→考える癖をつけようね。そのためのツールとしての自責思考、他責思考、という感じ
自分の非が1割でも、「自分にも責任があるな」と考えることで成長してく、みたいなのが多分想定されているイメージ
「成功の中に失敗を見つける」みたいな
では、9割自分が悪くても他人のせいにするのか? それはただのクレーマーだ。
→他責思考は自身のメンタルと相談
結論から言うと、
記事引用 これは自分の他責思考のイメージと違う
「◯◯が悪い。ちゃんとしてよ」
→何もしない
「コードわかりにくい。書き換えた方がいい」
→他人の改善点を探す
「また人身事故で遅延かよ。電車ちゃんとしろ!」
→悪い他責思考
「また人身事故か。全ての駅にホームドアがある訳じゃないもんな。設置推進運動に自分も参加してもいいな。
駅で起きる人身事故って、故意と過失のどちらが多いんだろう。故意の場合は飛び降りってことか...。根本から解決するには悩みを抱える人々のメンタルケアが必要になるし、みんなの心が豊かになる社会の実現を目指すべきだな。故意にせよ過失にせよ、ホームドアがあれば駅での人身事故はほとんど無くなるだろうな。
線路上で起きる人身事故の場合は...」
→良い他責思考...これって他責思考?
どちらかというと自分事化。考える癖の問題な気がする。的を射ている
その1 「誰が悪いか」の段階で思考が止まっている
「自分のせいだ...(´・ω・`)」
「ぜんぶあいつが悪い!」
その2「
浅薄愚劣で恥ずかしい
100%正しいことなんてない。「論理的に考えて尤もらしい」だけ。
運 他者の評価基準
そもそも: 我々は意識せずとも「自責思考」と「他責思考」を複合的に使っている?
無責思考