be nice
ナイスであれ。最近はこう思っている。
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自分は親から謙遜するように育てられたように思う。「謙虚であれ」。これは生きるのに役に立ったが、役に立たないこともあった。常に謙虚であるということは、自分を主張できなくなっていく。自分というものが何なのかわからなくなる。
自分の何が伸ばせるポイントで、何が不得意なのかもわからなくなる。常に謙遜しているから。そして自分を見失うと、あれ、俺何がしたいんだっけ?もわからなくなる。
謙虚であれというのは、日本で生きる上では役に立つ。褒められても謙虚であれば、大体良いように思われるし、実際上には上が居るから、そういう人のことを気にすれば、さほど変ではない。(ただちょっと嫌がられる場合もあるな。)
「謙虚であれ」ということは、「常に謙遜しろ」ということだと思っていた。実際小さい頃に褒められても、親は「そんなことないですよーw」ということが多かったし。自分もそう振る舞うのがよかろうと思っていた。でも最近はそうでもないな、と思いつつある。
「謙虚であれ」ということは、甘んじるなとか、天狗になるなという意味であって、自分をきちんと見つめるなとかいう話ではなかった。調子に乗りすぎ注意という話であって、全く調子に乗るなということでもなかった。
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会社に入って、何が得意で何が得意じゃないのか、何がしたくて何がしたくないのかを考える時間が増えた。上司や同僚も色々相談にのってくれるし、ケアしてくれる。結果として、自分はいろいろな人を巻き込んだり、その場に合わせてロールを変えて物事を進めていく力がありそうだ、ということがわかった。逆に、自分は気持ちを主張したりすることが得意じゃないということも分かってきた。やりたいこと、困っていることを相談することができない。
自分は周りの目を気にする人だった。でも周りの目を気にしすぎて、何もしない、自分の主張をしないような人だったと思う。周りを巻き込んだり、必要なロールになって仕事を進めていくというパーソナリティとは、ある意味真反対の感じがする。
得意なところを伸ばして、不得意なところを改善するにはどうしたらいいんだろう? 実は人と話すのはあまり得意ではないし、褒めたりとかするのも苦手だった。その割には自分がどう見られているかを気にしている。
ひたすらに謙遜するのではなく、時には主張したり、しっかりと意見をして、周りの人と関わりを強く持っていく。ナイスなコミュニケーションをしよう。楽しくやっていこう。ということを考え始めるようになった。 #model では自分がなりたい人、イイ人と思ってる人を挙げているけど、全員ナイスな人だと思う。フレンドリーで、どこか助けてくれたり、声をかけやすいようなそんな人。 -.icon
ナイスさって何なのか。具体的には分からない。人を並べてみて、こんな感じの人! としか今は表現できないけど、自分が話しかけやすい人、自分が仕事しやすい人、自分がなりたい人になっていけば良いのだろうと思っている。結局、だから、自分がナイスになれば良いのだ。だから be nice。ナイスになっていこう。
https://www.youtube.com/watch?v=iQi3aMQXip8&feature=youtu.be