モニター(ディスプレイ)の色調整について
モニター(ディスプレイ)の色調整について、皆さんどのような考え方、環境で制作されているか、知りたいと思っています。どちらかというと、作家の方の話を伺ってみたいですが、できればポスプロ編集室などが現在どうなってるのかなども知りたいです…。shogo_naka.icon
shogo_naka.iconは現在、Dell 27 モニター - U2723QE を、設定→色→プリセットモード→色空間→sRGB、にしたものをメインモニターとして使用しています。(プリセットモードの「標準」や「色温度」は彩度が高すぎると感じたため。また輝度/コントラストは共に75%、なぜそうしたか忘れました、たぶんなんとなくです…) また、デュアルディスプレイのサブモニターとして、EIZO ColorEdge CS2730をi1Display 3でキャリブレーションして使用(メインモニターの見え方になんとなく近くなるように、色温度7000K、ガンマ・色域=sRGBに設定)。紆余曲折を経て、キャリブレーションは何かの基準に合わせるためではなく、定期的に行うことによって、自分の環境で一定の見え方が保たれているはず(極端にズレたりしていないはずという程度)という気休めのためのものになっています…。 色温度はいくつに設定されてますか?
shogo_naka.iconは現在上記の環境で、おそらくかなり6500K寄りの見え方で制作しています。
かつては家庭の照明が9300K寄りのものが多かったという話を聞いたことがあるような?蛍光灯?
現在はほんと各家庭でバラバラ(電車の車窓から見たマンションの印象)だろうからいっそのこと6500Kと9300Kの間を取るとか…、はがんばってカラコレする気になれないだろな…。
ちょっと前まで、ほとんどの民生のテレビ、PCモニターのデフォルト設定って6500K、9300K、どちらでもない見え方している気がしていましたが(6500K、9300K、どっちの基準も極端なような…。と思っていましたが)、最近はかなり6500K寄りのものが増えている感じな気がするのですがいかがでしょう?
shogo_naka.iconの環境では、ほとんど見ないテレビ(確か東芝格安のを参考のためにあえてデフォルト設定で使用)だけがかなり青くて(9300K寄り?)、自分の関わった仕事の放送を見るとびっくりします。でも自分が関わっていない番組は気にならない(昔は気にしてましたが…)(PCとテレビの見え方違いについての皆さんの考え方、が一番知りたいかもしれません。shogo_naka.iconはもうあきらめているというのが現状です…。)
なんとなく現在は6500K寄りのモニターで作られた作品が多そう(想像)。
それを9300k寄りのテレビで見ても、全体が転んでいるからバランスは変わらず、オリジナルを知らなければ気にならない、という感じなんだろうなと自分の感覚を受け入れるようになってきた、のかな。(演出意図がかなり変わってきてしまいそうだから、オリジナルと同じ色温度で見たい気持ちはもちろんありますが…)
見たとしてもNetflixばかりでほとんどテレビ番組見ないし、テレビは6500K設定にしても良いかもと思ってきました。
↑Netflix、映画(館)、が6500Kだから。
一時期、きっちり6500Kでキャリブレーションしたモニターをメインモニターとして使用して制作していましたが、結局、MacやiPhone 、テレビと見え方が違いすぎる(赤すぎる)と感じたためやめました。(カラースペース、ガンマは気にするのをあきらめました。色温度の影響のほうが気になりすぎて…。現状sRGB、ガンマはたぶん2.2 )
Apple製品同士でも見え方けっこう違う印象。だったけどもう今は気にならないかも…。
印刷、Webなど、グラフィックデザイン業界はきっとまた基準が違いますよね…。映像も含めて全部やられてる方はどうされているものなのでしょうか…?
映画館の色について
昔は、映画館ってある一定の基準に沿った映像を観ることができる場所だと思っていたのですが、どうも各映画館によって色味、明るさ、黒の出方など違うんだなと思うようになりました。←なのですが、それは当たり前でしょうか?それとも、間違ってますか?(全国規模のシネコンなどはほぼ同じにできているものなんでしょうか?)
昔一度、自主作品のDCP作った(手持ちのモニターは色域完全カバーできていないのは承知で、確かDCI-P3基準でキャリブレーションして制作した作品をDCP化)→とあるミニシアターの試写で見え方全然違って愕然(色温度が違ってそう&そのシアターはプロジェクターが高性能で明るく見える?(記憶曖昧です)ことが売りとのことで、さらに驚く、劇場によって勝手に見え方変えられちゃうのと…)→同作DCPの新千歳での上映はほぼ意図通り(狙いよりも明るく見えた気がするけど全然許容範囲内)→DCP作る意味ある…?(色において、特に個人作家は…)となっています…。
映画祭での上映トラブルについて(上記の「見え方変えられちゃうの」に関連して)
2015年のある映画祭(都内、春)にて、深刻な上映トラブルに遭遇
海外アニメーション作品5本のプログラムが、フィールド順の逆転が起きているような見え方で上映されていた。
例えばキャラの上手方向への移動が、前進(上手)と後退(下手)を繰り返しながら進むといった具合。
2本目の作品で気づいたが、その映画祭の性質的に、あるいはその作品の意図的な演出かも…?と思った。
少なくとも続く3、4本目でも同じことが起こっていたので上映トラブルと判断。
後に当該作品の内2本の正常な再生のものを観る機会があったので判断間違ってなかったはず。
おそらく24→30fpsのプルダウン、もしくはPAL?の変換ミスor再生機材の設定ミス?
上映後、その場の責任者っぽい方にその旨報告。いまいちピンと来てない様子だったので運営にも報告のメール。
返事なし。Webサイト、SNSなどで特に告知も確認できず。(僕が気づいてなかっただけなら申し訳ない…)
以来、正直その映画祭、ひいてはその映画祭界隈にちょっとだけ不信感を持ってしまってます…。
しかたないかなという気持ちがほとんどですが、本当はしかたなくはないよなと…。
伝聞した上映トラブル
日本のある著名なアニメーション作家の活動初期(2006~2010年くらい?)、海外にて、もともと白っぽい薄い絵作りの作風だったこともあり、ほとんど何も見えないような劣悪な環境で上映されてしまったことがあるとのこと。
スクリーン(なんとなくこれが一番可能性高そう)orプロジェクターor上映環境の明るさorデータ形式、が原因?
よく作家のトーク付きプログラムで見かける薄い映像をイメージしました。
トークの合間に映像流す際に会場の照明が暗くならずに薄い映像が流れるやつ。
マスタークラス的なやつで、数分しっかり作品流れる場合でも、たまにずっと薄いままの時あるイメージ。
会場スタッフと連携とれてない?トークがメインのプログラムだからしかたない?
某映画祭の「爆音」問題(たぶんあとで消します)
作家に無断で「爆音」はやはり問題では…?(しかも当該作の一作だけ爆音)
「爆音」の質的にもNG。上物?のディテールが消し飛んでいた印象。
音ズレ(作家本人によると5fくらい)もあり、作品の肝である同期感が激減。
事前の期待を大きく裏切られた上映だったというのが正直な感想。
一音目の音デカすぎて笑った。そこはテンション上がった。
後はひたすら違和感を感じながら、なんとか遊園地的に楽しんだという記憶。
でも上映直後、「みんな盛り上がってるしいいか」となってしまっていた…。
当初、音ズレの方の問題しか気にしてなかった。
映画祭に作品預けたら(出品したら)、ある程度どんな状態で上映されてもしかたないかな、くらいの感覚なってしまっていた。感覚麻痺してたなと反省。(関連して、画面の周囲(横だけ?)がけっこうな割合でトリミングされてしまうあのシアターとか、上映経験ある作家さんどう思われてるのか聞いてみたいです…。たまに縦の字幕とかギリギリになってる作品あった記憶。もう改善されている…?)
次回以降は確実に改善されるはずと信じてます。
関連して、音楽も、スピーカーはじめ、いろいろ味付けされるのが前提の文化のようですね?1万以下のスピーカーしか買ったことないので、詳しい方のお話聞いてみたいと思っています。(知り合いのコマ撮りスタジオで、ステレオミニジャックのケーブル変えるだけで音変わるのを体験して驚いたのを思い出しました)
ここまで書いて、いろいろ自分で調べるべきな気がしてきましたが、一応残させていただきます…。
かなり前にNetflixがテレビ?モニター?のメーカーも巻き込んで、一定の基準に沿った視聴環境を実現するための新たな規格を作るみたいな話があったような気がするんですが…、後で調べてみたいと思ってます…。(←見つかりませんでした…。勘違いかもしれません…。)
麦さん、ちょっと前にACES勉強されていたみたいなので、よかったら教えていただきたいです。
ディスプレイで表示するための色空間と、編集合成のための素材の色空間を分けて考えて、後者についてはより広域なものを使いましょうってアイディアです。リニアワークフローやHDR合成のような仕組み一般を、相互互換可能な形で標準化したのがOpenColorIOで、そのうち使い勝手がいいLUTのようなものが、ACESとして公開されているって理解です。。あってますでしょうか?
あっ、早速ありがとうございます!僕はその辺り全然詳しくなく、麦さんのご説明もなんとなくしか理解できていないのですが(すみません!)、作業過程用のためのもので、最終的な見え方をどうのように決定するかはまた別の話ということと理解(解釈)しました。たぶんそうですよね。どこかで最終的な見え方の「基準」になるような考え方も含んだものだと勘違いしたみたいです…。こういう勘違いよくしてやってしまい、すみませがどうかご容赦ください…。ひとまずお礼まで…!shogo_naka.icon