パンチラインは読み手によって見出される
パンチラインは読み手によって見出される
売る立場の人が280円と値付けをしても、そこに価値が生じたわけではない。買う立場の人が買った時にはじめて280円の価値が生まれる
同様に話す立場、聞く立場の関係においても聞く側が受け取ってはじめてそこに価値が生まれる
だからこそ何かが伝わったこと、会話が成立しているということは奇跡なのだ
芸術は見えないほどの微粒子となって世の中に散らばり、そうやって拡散した芸術が路上で発見されたものがトマソンである 世の中に広く散らばっている偶然は、何か大きな力で集約されていくのではないか
彼らが創作プロセスを公開することで問題提起したかったのは「コンピュータを使った創作ではアーティストとソフトウェアのどちらが重要なのか」という点だろう。この問いに対して、芸術は作者不在でも観察者のみで成り立つとしたのが赤瀬川原平のトマソンだったが、プログラムによって行われる創作は出力結果でも過程でもなくプログラムのソースコード自体にある、と返答したのが中ザワヒデキではないだろうか。新・方法はこの視点から始まっているのだと思っている。 作品は作品ではない
ばるぼら(ネットワーカー)
“読者は筆者よりもスピードがある。
パンチラインが読者によって見出される話、小田部胤久サンの肩口から透かしてみるイマヌエル・カント『判断力批判』に強引に繋いでみたい