『Humankind 希望の歴史-人類が善き未来をつくるための18章』
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読了:2022-9-26
「人間は本質的に悪である」という西洋を中心に深く根付いた暗い思想に疑問を投げかけ、冷笑的な現実主義を性善説に立った新たな現実主義へと再構築することを提唱する一冊
キリスト教における原罪思想、ドーキンスの『利己的な遺伝子』、経済学におけるホモ・エコノミクスなど人間は本質的に罪深く、利己的であるという考えは古くから見られ、受け容れられてきた。歴史を辿ればそれは人々を支配するための方便という側面もあったとされる
上巻では性悪説を支持するような心理学実験、事件や歴史解釈の通説が実験者や著者による操作・改ざん、メディアによる捏造から生まれたものであることを示すことで性悪説に寄りがちな我々のネガティビティ・バイアスに疑問を投げかける。イースター島の滅亡に関するストーリーや「スタンフォード監獄実験」、「ミルグラムの電気ショック実験」、「キティ・ジェノヴィーズ事件」など「常識」として受け容れていたものが覆されていくのは衝撃的。一次情報をあたることの重要性を再認識するとともに、丹念に資料や当事者の証言を集めた著者のリサーチに感服した。
ニュースになるのは外れ値的な事象であり、ネガティブな内容のほうが人々の注目を集めるという構造的な問題からメディアの情報というのは人々の思考を相当に歪めている。「今日は何事もなく平和な一日でした」と報じられることはないのである。
下巻では、とはいえアウシュビッツのような凶悪な事件は起きているし世の中では度々悪しきリーダーが生まれているという事実に対して共感性・連帯感、権力勾配といった観点から回答を試みる。ビュートゾルフの経営スタイルやノルウェーの刑務所、「アゴラ」という学校のエピソードを通じて性善説的な考え方の実践例も示される。
自分はバリバリに性悪説寄りの人間なので、そのバイアスを指摘し通説とされてきた事例が尽く打ち砕かれていく上巻はかなり衝撃的であったし自分の悲観的・懐疑的な考え方を反省させられた。下巻の内容については、初見では上巻ほど印象的ではなかった。性善説を肯定する根拠としていくつかエピソードが挙げられても、それは個別の事例であって一般化できないのでは、と感じたためである(自身が性悪説バイアスを強く受けているせいもある)。後述の通り全体を眺めなおして著者の主張を整理したことで最終的にはかなり納得した。
本書は「性善説が正しいことを証明する」ことや「性悪説を否定する」ことが目的ではない。まず我々の思想が性悪説側に偏っており、その根拠とされている通説の裏には改ざんや捏造があったことを明らかにすることでニュートラルな状態まで引き戻している。そのうえで性悪説に基づく現在の社会システムが様々な問題を生じていることを示し、性善説に立った新たな社会システムを構築しうることを事例を示しながら提唱している。人間は悪という根拠は実は薄弱だし、人間の善性を信じるに足る事例も沢山ある。どちらかわからないなら善性を前提にして生きたほうがうまくいくよね、という主張である。それはプラセボ(またはノセボ)効果、ピグマリオン効果といった自己成就的予言によって、我々は我々がそう思うようにふるまう性質があるからである。
エピローグで引用されている「常に他人を警戒するより、時々は騙されるという事実を受け容れた方がはるかに良い。それは他人を信じるという人生の贅沢を味わうための、小さな代償だからだ」という言葉には胸を打たれた。かような生き方を実践したい。ここのところグローバリズムや資本主義の隘路、企業や政治家の不祥事といった暗い書物ばかり読んでいたので、本書の総じて前向きな読後感には救われるような思いであった。