妄想に取りつかれたとき
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自分が妄想を抱いていると自覚することは難しい。となると、自分のことだと引き受けることもまた難しいので、特定の観念を抱いているのだけれど、それが一日を占める時間の中で大半を専有してしまうことで、生活が困難になってしまうことが「問題」であり、できるだけ一日を楽しく過ごせる(生きることの辛さを減らしたい)ことを問題の解決(目的)と定義してみる。
誰かが自分を害そうとしてつきまといをしてきたり、わざと嫌がらせをしたりしてくるという認識に対して、実際のところ、その状態が自分の認知に由来するものということを証明することはおそらく当人には難しい。
自分の認識が歪んでいるという仮定に基づいて自分の解釈に批判を加えることは、それなりに学習を積んでいる必要があるし、仮に学習を積んでいても、批判の結論がどちらに転ぶかは保証できない。
仮に自分の認識が全て正しいという仮定に基づいて生活するのならば、その選択を選んだことによる責任も自身が引き受けなければならないだろう。