ルッキズム問題について
この記事は書き途中です。また内容的にとてもセンシティブなものを扱っているので、そういった議論に耐性のない方は読まないでください。また思考整理のための文章なので、僕の過去の文章からの切り貼りが多いです。文脈が崩壊しています。
貧乳だろうと、胸がでかかろうと、男性がジャッジする権利なんてない
何度もいうけど、人間は哺乳類。
女性に授乳装置がついているのは
乳児を育てるときの為。成人男性のためについてるものではない。
男性は、にんげんが哺乳類だということを忘れる病?
ポルノの見過ぎな幼稚な脳が、拘ってる
上のツイートに対する下の連ツイが面白かった。日付をクリックして飛んでください。
まぁそこは直立二足歩行をするようになって視点高度が高くなり骨盤形状が変わり、そのために尻の代替として乳房が隆起したというのが説のひとつなので、「雄の性的欲求喚起のためにある」というのはまだそんな否定されるものではないんだが、「ホントに性的欲求喚起するのか?」という疑問があるわ。
「君の名は。」でいうとそのブルセラネタの如何はわかるが口噛み酒そのものはあの映画ではほかのなにかには交換不可能なモノなので「気持ち悪い」等なっても仕方ない。男女が入れ替わるお話で性交の役割も逆転する、精液に相当するのが白濁した体液である口噛み酒…教科書的な順当なメタファなので、 ルッキズムの問題に関しては
彼氏がアダルトビデオなどで性欲処理をすることについて皆さんはどう思いますか?
https://gyazo.com/c1fd590dad29250258edffaec06aa894https://gyazo.com/68678c434017121e3c7b1ab8a7a6b5c3
今日はぼんやりしてしまってうまく応答できなかったのだけど、なぜ自分が一部フェミニストとオタクのいさかいを真に受けるかというと、やはり「オタク文化は女性を性的に消費している」という批判には一定の理があるというか、倫理的に聞くべき意見として重要だと思っているからなんですよな
https://gyazo.com/d131668be78c7a0b191ae09073ecbaf3
などもセットにして考えるといいかも。
オタクの作品には「いじり」というコミュニケーションがキャラ同士で行われることが多く、これは現実の社会であっても当事者が「いじめ」だと認識すれば「いじめ」なのだから、云々。
例えば、
バカとテストと召喚獣において、ヤンデレヒロインが主人公が自分以外に性欲を抱くようなことがあれば、それを排除しようとする。たとえば(アニメや本文にあるかは記憶にないが)、水着の美女がいて、目を向けるようなことがあれば、目をぶっ刺すとか、エロ本があれば全部捨てるとか。 この問題を考えるときに、よく対立する原因として、男女や個体差で性欲の認識が違うということが挙げられることが多い。
これまでの人生で他人の性欲処理をどれだけの数だけ見てきたか、それはどれくらいのペースで、どういう風にその人は思っているのかということに関して、詳しい人はとても少ないだろう。性教育をしたら、そういう知識が増えるかというと、微妙なところがあるし、各自、他人からの伝聞などで知っているだけだろう。
素人仮説として、男は女よりも性欲が強いという仮説があるが、仮に性欲が強いという現象があったとして、どんな問題があるのかということを考えてみよう。
「性欲が強いから、レイプとか痴漢をしてしまう」という仮説を挙げる人がいるのだが、性欲が強くてもそういうことをしない人がいる(大半の人はしないだろう)という現状からして、「性欲が強い」という要因が必要条件であるだけかもしれない。
もちろん、「大半の人間は性欲が弱い」という仮説も検証する必要があるかも。
フェミニズムでは男女間で性欲に差がないという風にした方が都合が良いということがあって、そういうデータをもってくる人が多い。ただ性差がないという解釈が拡大的に捉えられていることも多い気がする。例えばアダルト動画サイトの利用者分析には明確な男女差があるしオナニー回数も異なる。
『性欲の科学 なぜ男は「素人」に興奮し、女は「男同士」に萌えるのか』
性欲の自覚からその欲望にどう向き合うべきか考えあぐねていれば自然とロマンチックラブ的なものの見方に終着しやすいのかもしれない。その論理は色々と屈折していて、むしろ女性にとっては興味深いものだろうけど、整理し一般化した考察は出回ってないから個人的な経験の発露に期待するしかないかも。
ロマンチックラブイデオロギーが諸悪の根源みたいな雑な批判するブログを読んだことあるけどそんなに単純な話じゃあないんだよな。男性にとって性欲の対象は複数であるのに、社会的な要請で、誠実性という道徳との葛藤があって、そこからのロマンチックラブなら決しておかしいものでもないような。
性に関していえば満足してしまうと1日にそれについて考える時間が一気に減るよな(食欲みたいな話)。最近の自分は、中学の時に性に関して考えていた時間の1/10も考えないって感じで、未だに童貞だし性欲も小学生ぐらいから変わらないけど、それでもわりとどうでもいい感じな位置付けで気が楽。
自分は誰からも性的に愛されなくてもいい。それでも他者の幸せを願うみたいな思考に落ち着くの結構時間かかった。いま考えてみると性欲が性交欲と自分のなかで分離し出したのがそのきっかけかな。僕の場合は愛されるための努力のコストが高くて恋愛から距離を取りがちっていうのが大きいけど。
少年漫画で、メインの読者である男性にとって性欲の苦しみが自明であるなら、男性の登場人物から性欲を取り払ったり、他者の好意に鈍感にしたりという設定は、むしろ男性に対して性欲とはどういう欲求なのか考えさせる機会を与えることになるだよな。
少年漫画やラノベで「性欲をオフにできる」もしくは「性欲と恋心を切り離して考える(しかできない)」男主人公っているよな。
『仏教思想のゼロポイント: 「悟り」とは何か』でやたらと異性への性欲の否定が強調されていて、どうしてジェンダー論的なものの見方が浸透してきて「異性」って使うんだろって今朝思ったけど、いま読んでいて、生殖の否定が目的なら同姓愛はokなんかなーって疑問に思った。
引きこもりの人間が誰かを好きだと思うことって尽く無駄じゃないですか。それでも性欲はあるし異性への交流への意思はあるが、価値を有しているのか分からない自分を評価する人は普通いないわけで、少なくとも数年は現実の他者と断絶された状況で生きていくことが誠実性だと思う引きこもりは多いのでは
男が子供のころから向き合わないといけない性欲の問題に加えて、それに付随する自分の身体嫌悪感の問題(実は男がBLを好まない問題と繋がってくる)を考えるのに役立つ本
森岡 正博『感じない男 (ちくま新書)』
柴田英里さんのヴァルキリーの批評と繋がるけど、男が特定の他者に対して性欲を抱かない場合(ようはおかずの対象にならない・たたない)その相手に交際を申し込むことが誠実なのかという問題を考えるのに役立つ対談本『男を抱くということ』
“非・男根のメタファー”としての女性の武器/ヴァルキリー・ドライヴ・マーメイド
「男の性欲は我慢できない」という主張があったとして、その我慢ができないとはどういうことなのか。
例えば、
誰が可愛いか序列をつけてしまう。
我慢できなくて他人の胸を見てしまう。
我慢できなくてポルノを見てしまう。
歩いていると、服に股間が擦れて勃起してしまう。
性欲処理をせずにいると、寝ている間に夢精してパジャマが汚れる。
性欲処理をせずにいると、授業中に集中できず卑猥な妄想をしてしまう。
「誰が可愛いか序列をつけてしまう。」ことは、確かに性欲に由来するものかもしれないが、自分がどんな見た目が好きかを認識するためにやっているのかもしれない。それを他人に開示しようとすると、序列が云々という問題になり、誰かが傷つくという批判を受けることになるだろう。
スピーシーズドメインの女子会トークで誰が好きみたいな話をしている文脈を読んでいて思ったのが、誰が誰を好きという情報を開示することで、その競争に参加するか否かという判断をするという意味もあるのだと思う。勝ち目のない戦いをしないためにお互いにどんな人が好みかを開示することで、例えば、場合によっては友達として支援するという風に振る舞いを変えることだってありうる。 女神の乳に導かれる民衆
リスロマンティックと語り口の問題
精神医学系の本にはポルノ依存が原因でメンタルを病むみたいな症例が載ってたりするけど例えば時代がちょっと違ったり宗教的な背景が違うだけで、ポルノを読むことへの背徳心の強さも違うんかなみたいなこと昔思った。でも最近では個人差の大きさも強いのかなって思う。
例えばアン・スニトウ『ポルノと検閲』にはポルノに対する立ち位置や偏見を浮き彫りにする質問群みたいなのをまとめたページがあったり、こういうお互いの立ち位置を明確にしたうえで議論した方が生産的という意見は正しいようで難しい。
パートナーの性指向がアセクシュアルか、(ポルノ常用による)不感症か、EDか、性的不満足による不倫かを安易に決め付けることで関係に致命的な分断がもたらされることってあるから、ジェンダー論を学ぶの大事。性指向としてカウントされないことも多いけど、上の4つに加えてセックスが面倒というのも、またディスコミュニケーション要因の一つで、パートナーとセックスレスという現象の背景にはこの議論だけでも5つの因子が想定される訳で、特定の因子を過大に評価してしまうのは危険。>恋愛に興味のない『俺物語!!』https://mess-y.com/archives/24109 『暁のヨナ』を読んでいても、性欲のファンタジーさについて考えさせられた(ハクの「襲っちゃいますよ」とか)。十二国記や彩雲国物語では女王が男なんてどうでもいい的なのに対して、ヨナは四龍と寝てるだろっていうツイートを見かけて苦笑したけど。
フェミニズムではロマンチック・ラブ(詳しくはググって欲しい)の話と通じるけど(一部の男は)性欲が恋愛感情と同時期もしくはそれよりも先に訪れるから、相手に性的欲求を抱くかどうかという問題や付随して自分の身体的魅力があるかという美醜問題にそれこそ小学生ぐらいから向き合わないといけない
フロイトの話と通じるけど、子供の頃は性欲があっても、それに対処する方法が分からなくて大変だし、何とか3次元に興味もっても、絶対にセックスできないのにおかず対象になる問題が出てきて(家ではポルノの所持云々で親が揉めたり)このあたりから性欲と恋愛の気持ちが混ざったりしてくるみたいな。
『男子の貞操』で提示された代案というのは特定のパートナーのヌードへの性的欲求を長期的に育て高めていくことが大事(だからポルノはそういう発想と競合するよね)という議論だったけど、二次創作の性は記号的とはいえ他者の思考を通して産み出された差異多様さのあるものであり必ずしも競合しない。
反ポルノ的な議論の根拠付けって色々あって、ポルノ依存がEDの原因になるとか主張するだけでも結論としてポルノを読むのは良くないって思わせることができる。
ポルノ依存が原因で…という部分はあくまで自分のメンタル不調の原因らしきものとして精神医学で権威付けされ、本人もそうだと確信したとしても、そもそも根本的な原因はメンタルスキルの生まれつきもしくは後天的な弱さに由来するんじゃないのかという気がしないでもない。
昔読んだ『 ストレスを科学する (一億人の化学) 』という古い本にPCが前頭連合野に刺激を与えるため性欲剥奪を伴うインポテンツを誘因する「テクノストレスインポテンツ」という項目があった。最近の専門書ではどういう扱いになってるのか。
「二次元キャラに加害する者はやがて人間に加害するだろう」…?
昨日の『「二次元キャラに加害する者はやがて人間に加害するだろう」と言われると怒り出す。』だけど、自分と利害の深いことに関して不利な主張を押し通されたら怒る人も出てくるかもなと思った。性欲の発散方法を1つ封じることの意味について考察したうえで批判するならまだ誠実さがあると思うけど。
何かの属性を持った人間(たとえば今回の場合は、具体的に、陵辱系ポルノに触れることのある人間)に問題があって、生き方を変えるべき(矯正や制度の強制)という主張をするとき、僕が連想するのはいじめの問題と絡めて考えるといいかなと。『聲の形』では耳が不自由な属性が責められる話がある。
フェミニズムにおいて、女に清楚な振る舞いを強要させ、女同士でその規範から外れたものを批判させることによって、女同士を対立させ、清楚なふるまいであったり、処女であったり、ロマンチック・ラブの規範に則った女に価値をおくことによって、家父長制を維持していたというような仮説があるが、家父長制が現在でも生きているかはさておき、ロマンチック・ラブの性と愛と結婚の一致という規範は現在においても根強く残っており、例えば、セックスに愛が必要だとか、結婚したら性的に独占関係を結ぶことが推奨されるというようなことがある。
例えば
中二病でも恋がしたい!において、男子が女子の可愛さかなにかで格付けするというようなことが行われて、それが女性陣にバレて、ボコボコにされるというようなエピソードがあったような気がする。もちろん、これは男性が女性を格付けするという行為を通じて、ホモ・ソーシャルなコミュニケーションを図っており、それを通じて互いに異性愛規範に則って行動していることを示し合う。というようなフェミニズム批評の解釈が可能なんだろうが、とはいえ家父長制がこのホモ・ソーシャルによって維持されているというような論のつなげ方にもっていくには、現在ではとても無理が多いと思うので、どれほど意味のある解釈なのかという気がする。 フェミニズム批評の文脈で、ミスコンをどう考えるべきかという問題がある。
ミスコンや夜職、セックスワークを嫌うフェミニストは未だにいる。(私はフェミニストに、有名キャバ嬢・愛沢えみりはフェミニズム的活動をしていると書いたコラムを、「男性社会に与するキャバ嬢はフェミニスト足り得ない」と批判されたことがある)なのに彼女たちが被害にあった時だけ担ぐ不気味さ。
日本のフェミニズムは、ミスコンに反対するようになった時点でおかしくなったんだと思いますよ。既に、自分たちインテリと異なる生き方をしようという女性、別の価値序列の元に生きようとする女性の自由を抑圧する側に回ったんですから。
ミスコンは、参加する人に「自由(選択肢)」があり、本人に責任が伴う。しかし、フェミニズムは、その「自由(選択肢)」こそが、美的なものを序列化する価値規範によって構築された、女性抑圧に繋がるものと批判してきたはず。 https://t.co/hnXaSPqBi7 「なぜ序列をつける必要があるのか」という問いはミスコンだけでなくあらゆる序列に対しても向けられるはずだ。他のものについては問わないでミスコンについてだけ問うような人は(すべての序列化について問うはずの)「学問的フェミニズム」とは別の立場なんだろうな。 「なぜ序列をつける必要があるのか」という問いはミスコンだけでなくあらゆる序列に対しても向けられるはずだ。他のものについては問わないでミスコンについてだけ問うような人は(すべての序列化について問うはずの)「学問的フェミニズム」とは別の立場なんだろうな。
一部男性が主張してる「男の性欲は我慢できない」ってやつ、それ厳密には「性欲」じゃなくて「支配欲」とか「加害欲」だよね。だって、性欲なら男同士でも解消できんじゃん。でもダメなんだよね、相手を押さえつけられないから。性欲と支配欲が混ざってるの。そこに相手を尊重するなんて一切なし。滅べ
というツイートがあったが、
ラディカルに、異性愛規範によるマッチングがうまくいかないなら、男同士でマッチングすればいいという解決方法を提案しているが、ホモフォビアで男は、マッチング相手として男を選ぶことに抵抗がある。これは、社会構築的なものであったり政治や法的な問題でもある。
そもそもセックスにせよ、オナニーにせよ、性欲は頭の中での電気信号の基準でいけば同じようなことなので、そもそも生身の人とセックスをするコストを払えない人は、オナニーで我慢した方が楽だし、リアルの人で妄想するよりも二次元で妄想したほうが素材が豊富でオナニーも短時間で済むというのなら後者を選んだ方が合理的という発想だって普通だろう。
それこそ食欲は、栄養さえ取れればよいので、高いものを買う必要はなく、調理の手間さえ短縮できるならそういう方向に頭をもっていくのと同じような話。食欲があるからといって、店のものをその場で買わずに食べてしまう人は少ないだろう(もちろん、窃盗する人も世の中にはいるけど)。
保守主義が目指す方向と、リベラルが目指す方向で
これが伝統に基づく幸せ、こちらは偽りの幸せだ。どちらを選ぶか。僕なら偽りを選ぶかも。
ゲームとして、世の中から性的なものを抑圧して、公に出さないようにする最適解を考えてみるとか。
短いスカート履いて、胸を強調する服装で電車に乗ってチカンにあって声も出さずに抵抗もしなかったんですか?
別に『裸で出歩いてもいい』とは男女共に思わないけど、ファッションの範囲なのに「痴漢されるような格好をしてるのが悪い」「レイプされたのは男の劣情を煽る服装も原因」っていう意見は大嫌いだし、どう考えても同じ男として「性欲を抑えきれずに行動に移した男が悪いしそれが原因」としか思わない。
「現実の異性との独占的関係(恋愛)に基づく性交渉」は、多数派であり自明視されているというだけで、他の性のあり方よりも性暴力や性差別と親和性が低いわけではありません。現実性愛のルールにそぐわないという理由でフィクションを性の対象とする人々を非難する人達に抗議します。
フィクションを性の対象とする人の一部に、現実で他者の権利を侵害する行為をしたり、それをほのめかすような発言をする人がいたとしても、その背後にあるのは「性の対象は終局的には現実の人間である」という思い込みなのではないでしょうか?
— 空想を性の対象とする人のためのbot (@bot_Fictosexual) 2019年6月30日 もし現実の恋愛やセックスが愛や尊重だというのであれば、どうして性別により相手を選別するのでしょうか? どうして好きな人に別の好きな人が出来たら怒るのでしょうか? その人が本当に好きな人と結ばれて、幸せになることを望まないのでしょうか?
— 空想を性の対象とする人のためのbot (@bot_Fictosexual) 2019年6月30日 本当、それな。
萌え絵だとか二次元の性的なフィクションを性差別だとか性的消費とか言ってる人は、現実の恋愛・性行為文化(性の対象=現実の人間イデオロギー)がどれだけ性差別的な規範や慣習を生み出し、セクハラや重度の性暴力の温床になっているかを考えるべきだと思う。
— 空想を性の対象とする人のためのbot (@bot_Fictosexual) 2019年6月30日 2次元アイドルの一番いいところ、よく言われる裏切る/裏切らないじゃなくて世に蔓延る悪意が本人には絶対に届かないこと というのはある
村瀬幸浩 『男子の性教育: 柔らかな関係づくりのために』第9章1 一覧で見る、性教育のこれまで、これから、その後p164~P169 は図書館で借りてコピーする価値があります。これほどまとまった性教育の遍歴まとめは貴重。
ある女性のプロポーション写真を世界18カ国のデザイナーに送付、各国の理想の女性像になるよう加工を依頼した。スペインが最も豊満なスタイルに仕上げたのに対し、イタリア・中国はモデル並みの痩せ体型、他国は標準体重の範疇だった。痩せる事に固執しがちだが、必ずしもそれが一番美しいとは限らない pic.twitter.com/rIImxuJwfj とらドラ!大河の貧乳コンプレックスが本人からではなく写真部のゲスな遊びから出てくる(写真部を折檻してもコンプレックスは続く)という描き方なの凄いバランスの配置で唸ってしまった。