メス堕ちについて
センシティブな内容なので、そういう議論が嫌いな人は読まないでください。思考整理のためのページです。
さすがミソジニー大国日本…呆れと怒りで吐きそうだ。このタグ考えた人も面白がってタグ使っている人も、自分がどれだけ非人間的な事しているか知ってほしい。堂々と人間の半分を「メス」と呼び、女になる事を「堕ちる」と表現できるなんて、そしてそれを笑いのネタにできるなんて、全然理解できない。 https://t.co/J5DdC1h7El この話、慣用的すぎるし、私の立場からはそんなに強く言わないけど。
(ジャーゴン以上の意味はないと思うので。というところまで含めてミソジニーと言われてるのはわかるんだけど……)
— バーチャルAV女優Karin(バーチャル風俗嬢にもなりました) (@vxtuberkarin) 2019年7月12日 「メス堕ち」について
「メス堕ち」というと、基本的に、エロ漫画の文脈での特定のシナリオのことを指すという風に思っている。狭義では、女性が快楽に落ちる様を、広義ではTSもので男性が女性化して、快楽に落ちるものやBLにおいて受けが快楽に落ちる様を「メス堕ち」と呼んで、分類では快楽堕ちよりも狭いカテゴリーにあたる。理屈上ではTSにおいて女性が男性化して快楽に落ちることを「メス堕ち」と呼べるのかというと、人によるかもだが、自分の感覚では難しいように思える(主観)。
快楽に落ちるというシナリオには、そもそも社会において、性的なモラルから反する行為をしたものを非難する類の道徳であったり、暴言が存在し、それを信仰している人がいる。
例えば、浮気をした(かもしれない)男性に対して、彼の浮気を告発するときに、「下半身でしかものを考えられない人間だ」という批判をするとしよう。その根拠は、結婚は、法的に性的独占関係を保証するものであり、法的にそれを侵害しているということに由来するのかもしれないし、世の中の人がすべきでないと信じていることから逸脱したからかもしれないし、他者を愛しているならば浮気はできないと信じているからかもしれない。
先のセリフの続きとして、「快楽に負けてそういうことをするのだ」と批判したとしよう。個人的に、そういうシチュエーションがあったとして、そのような「快楽」というものを多くの男性は経験しているのだろうか?ということを素朴に感じてしまう。
食事において、「美味しい」という感情が「実在性」を持つ人がいるのと同様に、性行為においても「快楽」というものは存在するのだろうか。
例えば
のような本では、本当の快楽を知らないといったような議論があるが、リスクを負ってまで、得たい「快楽」というのは存在するのだろうか。
自分自身は、ものぐさ精神分析のような、議論を踏まえて(あんまり覚えてないけど)、「快楽」って存在するのってたまに思う。どちらかというと男性の不能性のようなものを感じてしまう。 どちらかといえば感じない男の議論を踏まえたほうがいいかも。 社会性を喪失してしまうほど快楽に落ちてしまう(だからこそ「堕ちる」という用語が相応しい)さまをエロ漫画で読むたびに、それこそ男がそういう経験をすることは決してない。たとえ、この人とセックスできたら死んでもいいと思える相手がいたとしても、仮にその人とセックスできても、この漫画で描写されるような「快楽」は決して得ることはないだろう。
このとき、どこからどこまでがファンタジーなのだろうか。
優しい想像でオナニーしましょうという性教育における指導が、健全なノーマルなセックスがうまくいくには、過激な刺激でのオナニーを避けて、刺激の少ない(それこそ妄想力のない)想像でのオナニーをしたほうがいいのではないかという仮説に基づくものだとしよう。そもそも社会性を得るということに、結婚とそれに付随して性行為がインクリメントされている以上、妥当な指導なのかなという気もする。ラディカルにいけば、性行為自体が暴力性を含んでいるのだから、生身の人間に欲情しないようになれば、そういった暴力的な行為をせずに済むという指導も可能だとは思うが、「暴力的な動画や画像」が人間に与える影響という議論はセンシティブなので、どうしても避けたいから、そういう論理は最初からないことにしたほうが指導する側も楽なんだろう。
『アナーキー・国家・ユートピア』に快楽装置の議論があったような気がするが、水槽の中の脳だったとして、幸せな夢をみさせてくれたとき、実質として幸せでない(脳だけ)としてもそう感じられること自体が否定できない以上、経験しているその様こそ、実在しているといえるのだという論理帰結ができるとして、これをさきほどの議論と接続してみる。
快楽堕ちというのは、そもそも主体が変化してしまったあとに、主体が変化する前に拒んでいた快楽を「幸せ」だと受け入れることの倫理的な問題を提起するものである。
続く(少なくとも自由は侵害してるシナリオが多いような)
NTL
食欲と美食が社会的に構築されていることと、性欲及び快楽もまた構築されている。
「メス堕ち」って、男が受け身で逝かされ続けて出されまくって妊娠させられるくらいの状態で、しかもそれを受けの男は喜んでいる……くらいのプレイを表現するための言葉で、これまた見事に画面の中には一ミリたりとも生物的な「メス」が出てこない、概念上の「メス」の話だと理解してたんだけど。
例えばコネクタやプラグにはオスとメスがあるが、これにはA/Bの二者を弁別するという実用的で散文的な意味しかない。ここで、「凸型は優れているものの暗示で凹は劣位を示している」とかいい出すのはおかしいのである。優越の話はどこにもないのだから。
凸凹に男女なり攻受の暗喩を見出して「表現」を膨らませるのはたいへん楽しい。さらに妄想をたくましくして今の世界の男女関係を反映させて論を張るのも、まあ結構であろう。しかしそれは、俺が実作業としてコネクタのオスメスを接続する際に、一切の意味も価値も有り難みもない話である。
さすがにそれは否定しない。しかしですね、今ソレが良くないというのならば、「これは二者を別けるためのレトリックの一つである」として、「雌雄に格段の優劣なし」と解説しその解釈を敷衍することに尽力してればいいのです。「雌雄を決するは差別語である」とかいい出す人が私は苦手です。 https://t.co/yPNf0oKQaG いやー、メス堕ちの話は同意するけど、雌雄を決するは明らかに片方を勝者、片方を敗者とするための言葉よ。そんで、どちらがとなると、当時の思想的にも明らかに雄が上だと思うよ。史記自体にそんな注釈はないけど。