テヅカ・イズ・デッド
テヅカ・イズ・デッド ひらかれたマンガ表現論へ (星海社新書) https://images-fe.ssl-images-amazon.com/images/I/41POTNv7rwL.jpg
紹介
我々は、手塚以降の豊潤な時代に生きている。マンガ史の空白に突如として現れ、マンガ表現論の新地平を拓いた名著、ついに新書化。 豊潤な「マンガの時代」は神の不在の上で花開いた
1989年、手塚治虫が死去した。その後に訪れた90年代、いつしか「マンガはつまらなくなった」という言説が一人歩きを始めた。手塚の死とともに、マンガの歴史は終わってしまったのか? いや、そのようなことは決してない。マンガ評論における歴史的空白のなかにあっても、新しいマンガたちが描かれ、読まれ、愛されているのだ。では、神の死後に生まれたマンガたちが見向きもされない現実は、マンガにとって不幸ではないのか? そして、なぜそのようなことが起きてしまったのか? 歴史的空白を「キャラとリアリティ」の観点からとらえ直すことで、マンガ表現論の新たな地平を切り開いた名著、ついに新書化。マンガ・イズ・ノット・デッド。
目次
第1章 変化するマンガ、機能しないマンガ言説(なぜマンガ言説は、現状に対応できないのか?;「読み」の多様さとシステム論的分析の必要性 ほか)
第2章 切断線を超えるもの—いがらしみきお『ぼのぼの』の実践(いがらしみきおの認識;『ぼのぼの』と『動物化するポストモダン』 ほか)
第3章 「キャラクター」とは何か(「キャラ」とリアリティ;『NANA』は「キャラ」は弱いけれど、「キャラクター」は立っている ほか)
第4章 マンガのリアリティ(マンガにおける近代的リアリズムの獲得;「コマわり」とは何か ほか)
第5章 テヅカ・イズ・デッド—手塚治虫という「円環」の外で(手塚治虫という円環;より開かれたマンガ表現史へ)
「BOOKデータベース」 より