友達として大好き
友達として大好き
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家族は必然。恋人は偶然。友達は、自然になれるはずなのに?これは、息を吸うように恋をした結果、クラスで浮きまくっている一人のギャルが、ルールに縛られた眼鏡少年の本当の「友達」を目指す物語。友達に悩んだことのあるすべての人におくる、放課後の、ちょっとエッチな友情譚! 「友達として大好き」を読んだのだが、絵柄も好みだし展開も面白かった。この手のいじめは、加害者が同時に被害者意識がある厄介なパターンで、実際に当事者同士ならば、責任主体として問われるべきはサナコだけでなくて彼女との性的関係を了承した男性側も同時に負うべきだし女性側だけにそういった性的に奔放というマイナスイメージのレッテルを貼るのはどうなんだろうな。結糸に恋をして彼と友達になるためにルールを守らせることで問題行動に介入するというのは行動科学的な話題だなと感じた。 性的逸脱行為に対してどのように介入するべきかという問題は、一応教育分野でも話題になるはなしではあるけど、性教育的なはなしはよくきくが、認知行動療法よりの介入のはなしは自分はあんまり知らないなと。
恋愛関係になったときに、性的逸脱行為を続けている場合、不和の元にもなりがちだし、そういった長期的な観点に立てば、パターナルになんらかの矯正措置が取られるべきと考えるひとがいてもおかしくないかも(それを背負えるひとがいないと無理だと思うが)。足場かけに似てる。
誰かと一緒にいることで成長に繋がるというはなしは、このツイートを思い出した。
· 2019年12月5日
『物語シリーズ』において、戦場ヶ原と貝木泥舟が一緒になったら、戦場ヶ原は駄目になったし、暦が千石撫子と一緒になったら千石は駄目になるというようなことが対話で言及されていたが、誰かと一緒になって、より良く生きることができるという観念は面白いと思ったりする。
ラディカルな観点でいくと、そもそも性的逸脱行為は逸脱なのかということも言えて、その場合、それを逸脱と認定して矯正しようとする権力のあり方こそ問題になるな。性別を逆転したときにはなしが商業的に成立するかという議論もありそう。
毒親、愛着問題などと結びつく話題なので、ひとによってはとてもネガティブな感情を抱きやすい漫画かもしれないと思う。発達障害や知的障害のひとがどうやって生き抜くかという手段で性的な関係を活用するということもあったりして、かなりデリケートな話題でもあり、難しいと感じた。
性的に奔放なひとに対してネガティブな感情を抱くとき、おそらく、そういったことに関して怒りを覚えているひとと、そのひととの関係などの経験などがその価値観の根底などにありそうで、そこまで可能の階梯(問題解決大全)を降りないといけないのだろうな。
『こころの問題事典』に関連しそうな項目があるかなとちょっと眺めてみた。あんまり直接的なものはないのかな。
あと邦語文献を対象とする参考調査便覧で性問題の文献をチェックした。