『日本沈没』
上・下
上
ビルの、エア・ドアを出たとたんに、熱気が災厄のように点からおちかかってきた。――なま暖かい、ベトベトとしめった眼に見えない手が、襟元や袖口から、冷房で冷えたシャツをおしのけて、もぐりこんできた。――まるで、ぶくぶくふとって、汗だらけの、腋臭女の裸に抱きすくめられるみたいだ。その気持ちわるくべとつく、熱っぽい抱擁に、思わず口が歪む。たちまち汗が吹き出してくる。
p.89
(沿岸沿いをホバークラフトで飛ばしながら)
陸運局のグズめ!もたもたしてないで、早くホバークラフトの陸上交通規定を決めれば、水上からこのままどこかのハイウェイに上がってすっ飛ばしてやるんだが……。
p.125
台風国であり、地震国であり、大雨も降れば大雪も降るという、この小さな、ごたごたした国では、自然災害との闘いは、伝統的に政治の重要な部分に組み込まれていた。だから多少不運な天災が重なっても、復旧はきわめて速やかで活発に行われ、国民の中に、災害のたびにこれをのり越えて進む、異国人から見れば異様にさえ見えるオプティミズムが歴史的に培われており、日本はある意味では、震災や戦災や、とにかく大災厄のたびに面目一新し、大きく前進してきたのだった。――災厄は、何事につけても、新旧のラジカルな衝突をいやがる傾向のあるこの国にとって、むしろ人為的にでなく、古いどうしようもないものを地上から一掃する天の配剤として、うけとられてきたようなふしがある。
p.128
研究というものは――とくに、自然研究というやつは、技術研究なんかとちがって、あきれるほど金を食うかわりに、ごくわずかな結果しか出てきません。たしかにこうなる、といえる部分はごくわずかですし、もし、こうなると明快に断定する学者がいたら、まずそういう学者は山師か変人と見ていいでしょう。
p.130
頻発する地震についての見解を学者に聞こうという意見がでた閣議で、科学技術庁長官が言った内容
一見、自然研究を馬鹿にしているかと思いきや、ちゃんと理解のある人の意見だなと思った
「田所さんは、野人だからな」と幸長助教授はまたいった。「学者としては、アウトサイダーというより、無法者アウトロー、アウト・ルールの人なんだよ。研究に必要なら、悪魔からだって金をふんだくって突進する。”悪魔に負けなきゃいい”という信念だ。――日本の学会では、受けいれられるわけがない。……」 pp.139-140
まさか!――そんなばかなことが考えられるか!小野寺は暗いガラスごしに、じっと夜の中に眼をすえた。夜空に、光の点にふちどられてつったった東京タワーの頂きあたりをかすめて、国内線、巨大なエア・バスが、赤と白の灯を点滅させながら、黒い怪鳥のように羽田のほうへおりて行った。――これらいっさいのものが、もし、田所博士が危惧しているようになるならば……もし本当にそうなら……いったい、この巨大な都市と、そこにくりひろげられつつある生活は、どうなるのか?一億一千万の人々が、この島、この土地、この歴史的蓄積の上に開花した一つの社会の中に抱きつつある、明日へのささやかな夢は?――家を建てる。子供を産み育てる。大学へ行く。海外へ行く。歌手になりたい娘たちや、芸術家になりたい少年たち……灯ともしごろともなれば、男たちは、酒と女と談笑の中に、一刻の快楽を持つことをもとめ、釣りやゴルフや、ギャンブルなどにささやかな楽しみを味わい……、そういった。一億もの人々の、ささやかな明日への希望はいったい、どうなるのか?
p.222
――たのしんでくれ……小野寺は、光のあふれるあたりを見つめながら、ほとんど祈るような気分で思った。――せめて、いま、しっかりたのしんでおいてくれ、みんな。一刻一刻を、かけがえのないものとして、たのしむのだ。ささやかすぎる快楽の記憶でも、ないよりはあったほうがましだ。いま、たのしんでおくのだ。――明日は……ないかもしれない。
p.222
われわれは、まだ、この地球について、爪先でひっかいたぐらいのことしか知らんのだよ、幸長君。そのことは君もよく知っているはずだ。とくに――とくに、過去に起こったこと、現在の地球のことが、まだ完全にわかっていない以上……
p.258
未来は絶対に、完全にデテイルにいたるまでは、予測し得ない。たとえ過去、および現在の状態が、ラプラスの魔神のごとく、全部わかったにしてもだ……
p.259
量子力学!?
――そうか……と小野寺は思った。――そういうわけだったのか!
あの小笠原での航海ではじめて田所博士に会って以来、この憑つかれたように、何かを追いもとめている、やや気違いじみた学者が、いったい何を追求していたのか、ということが、今ようやくわかりかけてきた。――博士のとりつかれたあるイメージが、しだいにその全貌をあらわそうとしていた。小野寺にも、もうそれが何であるかほとんど理解できた。しかし、彼には最後の霧を自分ではらう勇気はなかった。体の芯が、かたく、冷たくひきしまり、筋肉が硬直し、脇の下に汗がにじみ、彼は知らず知らずのうちに、今、すべての霧をはらってあらわれようとしているものにむかって身がまえていた。 くろぐろとした、何やら恐ろしいまでの巨大さを感じさせるそれにむかって……。
p.264
p.265~ 田所博士の演説、迫力がある
一九九四年に隆起をはじめた有名な北海道の昭和新山は、わずか一年余の間に三百メートルあまりも隆起し、その最も隆起スピードのはげしい時は、一日に一・五メートルにおよんだ。だが、人間にとって異常だったこの変化も、地質年代の中に投影すれば、おそらく発見もされないだろう。
p.266
下
――妙なことになったものだ。……酔いが疲労をひき出してくるのを感じながら、首相は指をあげて眼頭をもんだ。――眼をつぶると、疲れがどっと背後からおそいかかり、あおむけざまに奈落へひきこまれるような気がした。しばらく椅子の背に頭をもたせかけて、その落下感覚に身をまかせていると、鉛色の混濁の霧のかなたに何かが朦朧と見えかけてきた。
p.11
本職の「政治家」は、いわば「孤独な選択」の専門家であり、プロであるはずだった。――「権力」というものは、いってみれば、そこに発生するのだ。だから「権力者」は依然として、古代以来の「カリスマ」の尾骶骨をくっつけていざるを得ない、というのがこの若い、六十代半ばにも達しない総理大臣の信念だった。
p.11
あらゆる「決断」をいっさい委ねられるようなコンピューターが出現したら、どんなに楽だろう……と首相は思うことがあった。「政治家」などという職業を人間がやる必要性がなくなる時代が来たら、それは幸福な時代かもしれない。人間が機械のおかげで筋肉にたよってやる「重苦患じゅうくげん労働」から開放されたように、「政治的責任」の、苦しい精神的負担からも、完全に開放されるような日が、本当にいつかは来るだろうか? おそらくそんな時は来るまい……と首相は思った。
コンピューターと、膨大な頭の切れる官僚群は、逆にますます選択によって左右される自体の大きさを増大させ、ますます「決定デシジョン」をくだす人間の負担を巨大にするのだ。 pp.12-13
――そのとき彼は、それを見たのだ。習慣的に笑みを浮かべた口もとと、笑っていない眼との間に浮かんでいる酷薄無残なあるもの……そしてその下から、袖丈のあわないワイシャツのカフスからのぞいている汚れた下着の袖のように、ちょっとはみ出していた眼をそむけたくなるような陰惨な孤独を……。職業的訓練によって、表情には出さなかったが、その瞬間首相は腹の底から冷えるような、個人的な、後ろめたいショックに全身を貫かれた。まるで大統領が毛だらけの臀しりをむき出して、便器にしゃがんでいるところを見たように、汚ならしい臓腑みたいなプライバシーに、うっかりふみこんでしまったばつの悪さが、彼を狼狽させた。 p.13
やっぱり「野人」というのは、この小姑こじゅうと根性の充満した、意地の悪い「組織社会」にむかないのだろうか? p.80
苦い唾が、小野寺の舌の付け根からこみ上げてきた。――そういうことだったのか! かくしきれなくなってきた段階で、「風変わりな」気ちがいじみた、学会に評判のよくない、在野の学者が、一流ジャーナリズムでもなく学会でもない「大衆週刊誌」に、センセーショナルな形で「ショッキングな」意見を発表する。これには二面的な効果がある。人々は、「また例のとおりの」週刊誌センセーショナリズムだと思って、情報を「限定付きで」うけとる。公的機関の婉曲えんきょくな否定、「変わり者」学者の信用度に対する、アカデミックな権威からの冷笑もちゃんとおりこまれ、情報の「衝撃性」は緩和されている。人々は「風変わりな意見」として、多少のショックをうけながらも、ある程度安心してうけ入れるだろう。ごていねいに、最後は「テレビにおける暴行」というスキャンダルで飾られた。だが同時に――人々は、かくされた「事実」に最初の接触をはじめ、「そういうこともあり得るかもしれない」という考え方にならされはじめるのだ。毒性をうすめたワクチンをうたれて、「免疫性」を獲得するように……。 pp.82-83
海は、その幅広い舌で、かつて人間が技術の力でもってそこから奪ったものを、再びとりかえそうとしていた。
p.94
pp.97-102 の、兄に秘密を打ち明けるか葛藤する小野寺の描写
肉親のエゴ
美意識の問題
自分の中に、今まで考えてもみなかった「肉親のエゴイズム」といったものがひそんでいたことを発見したことは、ちょっとした衝撃だった。
p.97
要するに、自分が頑固に口をつぐもうとしているのは、一種の「美意識」の問題でしかない、ということに気がついて、小野寺はびっくりした。
p.100
このドライで、クールで、しかも人当たりのいい、人好きのする、おとなの悪魔的な意地悪によってつけられたねじくれた「傷」を負っていない、べたついたところがなく、物質や権力に対する執着もなく、生活に対する欲望も淡白で、さらりとした感じの青年たちは、いわば戦後日本の生み出した傑作といえるだろう。彼らは自分たちを「日本人」であると感ずるより、まず「人間」であると感じており、日本人として生まれたことは、皮膚の色や顔形のちがい、背の高さ、といったような、人間一人一人が持つ、しごく当然な「個体差・群差」としてしか意識していない。彼らは、自分たちを、「日本の中でしか生きていけない」と考えてはいない。地球上、どこへ行っても自分は生きていける、と思っている。生きていくことが、特定社会内における「立身出世」の妄執とつながっていないから、どこでどんな暮らしをしようと、自分の人生を「失敗」したとか、「だめなやつ」だとか考えてみじめな思いをすることもない。――それは、新しいタイプの、いわば「教養のある原始人」というべき人間かもしれない。だが、彼らの闊達かったつさ、寛闊かんかつさ、さわやかさを、古い世代の誰が非難できよう。 p.138 小野寺に対する幸長の評価
玲子と小野寺の絡み p.141-147
「その時、私、わびしくて、泣き出したくなるほど孤独なのに、でも幸福なの。……自分が宇宙の中を、燃えつきておちて行く星のかけらみたいに感ずるんだけど、でもとても幸福なのよ。冷たい水にぴったり抱きしめられ、一人ぼっちなのに、青黒い水や、ゆらめく海藻や、銀色の雲のようにきらめいて泳ぐ魚や、そういったものと一体になっているって感じるの。――わたし、小さい時、ドミエか誰かの“失楽園”の銅版画が好きだった。あなた、みたことある?あの中で、天使の中で最も美しかったのに、その驕慢さから神にそむいて地獄におとされ、醜い悪魔となったルシファーが、神への復讐の念に萌えて、エデンの園にまっしぐらで飛んでいくシーンがあるの。版画では、悪魔にされても美しい青年で、それが陽光がすじをつくってさしこむ宇宙の中を、はるか下のほうに見えているエデンの園にむかって、蝙蝠こうもりみたいな大きな羽をひろげて、まっさかさまに降りていくのよ。――その画を見たら、どういうわけだか、私、いつも泣いちゃった。一人で、磯からはなれ、海底が崖になっていて、深いまっくらな淵になっていて、灰色がかった青い水が四方に、はてしなくだんだんぼかしになってひろがっているような所で、一人でもぐって行く時、私、いつもその絵を思い出すの。――ときにはマスクの中で、涙をながしていることもあるわ。その時、私は、いつも、ああわかった、と思うことがある。何がわかったか、はっきりいえないのよ。宇宙みたいなもの……地球とか、自然とか……その中で自分は砂粒みたいに小さい存在なのに、自分はそういった巨大なものと一体なんだって……砂粒のくせに、それがわかるの。わかるってことは、自分が一体なんだって――どういったらいいのかな。……それを感じた時、私、孤独で、わびしくて、しかも泣きたいほど幸福になるの……。ああわかった、これなんだったって思った時にね。――あなたにはじめて抱かれた時、なぜだか知らないけど、それと同じことを感じたわ。――あなたが、深海潜水艇の操縦士だってkとおは、まだ聞いていなかったのに……私、あなたの中に“海”を感じた。――あ、これだ、って……今、あのいつも抱かれに行く、深い、ひろい、巨大な海が、日ごろの私のマスクの中の涙を見て、青年の姿になって、私を抱きしめてくれるんだって……」 pp.142-143 玲子が小野寺に言った台詞
この問題は、ドル危機や、社会的事件とちがって、職場や、街頭の議論で一応の方向づけができるものではない、ということをみんな直感的に感じたようだった。衝撃は、そういった日常社会生活の表層の、少し下の所をおそい、めいめいが、日常社会的な関係の水準の下にある、よりパースナルな次元にもどり、めいめいが、「どうしたらいいか?」という問題に個人的に直面したようだった。
p.167
刻一刻と、不気味な蠢動の幅をひろげ、破砕と水没への傾斜を強めつつある弧状列島と、三十七万方キロの時限爆弾の上にのって、カチカチと文字盤のない時計が時をきざむのを聞いている、一億一千万の人々の生命をはさんで、いかなる場合でも非情で、寸毫すんごうの仮借かしゃくもない、あの「力のチェス」の、虚々実々の駒組みがはじまっていた。いかなる破壊、いかなる災厄、いかなる膨大な人命喪失や悲惨も、「盤面上の情勢変化」としかみなさない「勝負機械ゲーム・マシン」のギアが、「予想される新しい事態」へむかって入れられたのだ。「ヒューマニズム」さえ、駒の中にちゃんと僧正ビショップのように組み入れられている冷酷なチェスが……。 p.201
委員長が、そっと眼顔でさしたラウンジの片隅に、潮がひいて行くように出口へむかう人の流れに、顔をそむけるように、一人の小柄な、半白の髪をした東洋人の老紳士が、ひっそりと立って、窓から見える血のように毒々しいニューヨークの落日をながめていた。――そのうすい肩は、うちひしがれたようにおとされ、はずして手に持った眼鏡のつるが、かすかにふるえているのが、二人の立った所からも見えた。――老紳士は、ハンカチを出して、夕日に照らされたしわ深い顔、眼の下のあたりをしずかにたたいた。
p.206
竜の比喩
田所博士と渡老人の会話
ラスト、小野寺と摩耶子