『ソフィーの選択』
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新潮文庫から1991-10-01に出版
上・下巻から構成
感想(ネタバレあり)
長い物語の中で登場人物それぞれ、特に中心人物の三人につよい愛着を抱くようになっただけに辛い結末だった
タイトル回収がかなり最後のほうで行われる。そういう選択だったのかー!ってなる。苦しい話。
この小説もまた、俺の知らない(ビッグテックの興隆が見せるものではない)昔のアメリカを匂わせるものという意味でかなり惹かれるものがある
ソフィーの語りやそれに基づく描写と日々の生活を行ったり来たりするが、それをやっても筋を見失わずに読めるようになっているのがすごい
いちいち雄弁に情景が伝えてくるその才能がうらやましい。いつか原文でも読みたいと思う
微妙な関係に甘んじたり、自分の行為が実らないスティンゴ、彼の悶々とする若者としての孤独に親近感を感じずにはいられない。俺が作中のスティンゴと歳が近いというのもあるんだろうか
俺は小説家じゃないけどこういう作品を遺して死にたい、ほとんどは創作なんだろうが自伝的に読んでもあまりに魅力的だ
映画もあるらしい。見てみたい
引用
その四階の小部屋に、ぼくはその春まるで半ば狂った隠者のように毎夜毎夜閉じこもっていた。遊ぶ余分の金が無かったばかりか、大都会に初めて来て恥じらいよりも単なる自尊心から内向的になり、友達を作る機会にも意欲にも欠けていたから、仕方なくそうしていたのだ。これまで何年も、ときには知恵もなく群居生活を営んできたぼくは、望みもしない孤独の苦痛を生まれて初めて味わっていた。突然独房に投げ込まれた重犯罪人のように、自分にあるとかろうじてわかる内面的資質の富を燃焼させないまま食いつぶしているのを感じていた。大学レジデンスクラブの五月のたそがれどきに、見たこともない大きなゴキブリが『ジョン・ダン全詩全散文集』の上を這いまわるのを眺めていると、だしぬけに孤独と顔をつき合わせて、孤独というやつは実に無情で醜い顔をしていると思い知らされる。
上 p.23
ありがたいことにぼくはまだ読書に熱中でき、幸福な結婚につぐ次善の策として読書で圧倒的な孤独をうまくまぎらわすことのできる年齢だった。読書以外の方法ではあのころの毎晩をしのぐことはできなかったろう。しかしぼくの読書は気ままなうえ、奇妙なくらい何でも読み、書かれた言葉ならほとんどどんな言葉でもゾクゾクするほど好きで、好色と言ってもよかった。好色と言ったが文字どおりそうで、ほかにもこういう特性の人に当たってみたところ、ぼくと同じように若いころこの特異な文字好きの気持にかられたと告白している人が二、三あるから、項目別電話帳と半時間戯れると考えただけでわずかだがやはりはっきりと胸のふくらむ思いを感じるときがあったと述べても、軽蔑されたり信じてもらえなかったりする心配はもうないだろう。
上 p.23
これわかる。文字を追うこと自体も楽しんでいた時期が俺にもあるlemonadern.icon
完全に認めてしまいたくはなかったけれど、ぼくはこんな語呂合せの仕事がいやになりはじめていた。おれは編集者じゃなく、作家だ。メルヴィルやフローベールやトルストイやフィッツジェラルドとおなじ情熱と飛翔する翼を持った作家なんだ。これらの大作家たちはぼくの心を引き裂いてその一部をとらえたまま放さない力を持ち、夜ごと個別に、または一緒に現われて、その比類なき天職へとぼくを招くのだった。
上 p.25
マグロウヒル社の新しい編集長イタチ(weasel)はウルフとの関係で知られる人物であると描かれる
イタチはウルフと完全に一体化して、まるでウルフの分身のようになっていたが、これはぼくには耐えられない苦痛だった。同世代の数知れない若者と同じく、ぼくもウルフ崇拝の痛みを経ており、全財産をなげうってもイタチのような人と親しくくつろいだ一晩をすごしたい、巨匠の新しい逸話をその人からじかに引き出し、崇拝する巨人とその奇行や逸脱や三トンにもおよぶ原稿のことで何かすばらしい話を聞きながら、「それですよ、それ!それ!」なんていう文句を吐いてみたいと思っていた。ところがイタチとぼくはまったく気が合わなかった。何よりも彼は厳格な伝統主義者で、マグロウヒル社の無色で超保守的なきちんとした型に自分をすぐはめてしまった。それと対照的に、ぼくはまだほんとうに文字どおり元気いっぱいピチピチしていて、書籍出版の編集の仕事を生彩のない苦役だと疲れた目でいまや明瞭に見ぬき、その仕事に関する全般的な考え方ばかりでなく、産業界そのものの形式や慣習や人為的なものにもおどけた態度を持ち込まずにはおれなかった。まじめな文学的よそおいをこらしてはいても、マグロウヒル社は結局のところアメリカ企業の巨大典型だったからだ。そこで、イタチのような冷たい企業人がかじをとる以上、ゴタゴタが起こってぼくが失職する日もそう遠くはないとわかっていた。
上 p.32
崇拝のところの感覚とてもわかる。いい表現。
アメリカの大企業と聞くとGAFAとかが思い浮かんでしまうけど、こういう意味での大企業ならそりゃお堅い態度に起因する閉塞感を感じてしまうのも無理はないなあと思った
「書籍出版の編集の仕事を生彩のない苦役だと疲れた目でいまや明瞭に見ぬき、その仕事に関する全般的な考え方ばかりでなく、産業界そのものの形式や慣習や人為的なものにもおどけた態度を持ち込まずにはおれなかった。」
彼は卵形のすべすべした頭と、どこかイタチに似た敵意のある小さな目をしており、肉体的存在が含むニュアンスに敏感なトマス・ウルフのような人物の信頼を獲得したとはとても思えなかった。
上 p.33
あわれなイタチ。冷たい魚のような男だが、ぼくにはめようとしている手かせ足かせは彼が作ったものではないことに思いいたると、突然彼がすこしかわいそうになってきたのだ。(中略)そこには、彼がこんなバカげたケチな規制をけっして好んでいるのではないと感じさせるものが何かしらある。それに考えてみると、イタチの年齢と地位ではマグロウヒルにほんとうに捕われる身となって、そのまやかしの弁舌や卑しい性根の形式やあぶく銭への単純な関心などと抜きがたくかかわってしまう。もはや二度と引き返せない男なのだが、それにひきかえこのぼくには、この世の自由が目の前に少なくとも広がっているではないか。
上 p.36
「後悔するなよ、イタチ。おまえはトマス・ウルフと同じくらい有名になる男をクビにしているんだぞ」こう言わなかったのは確かだが、この言葉は実感をもって舌の上で震えていたから、今日にいたるまでぼくはこれを口に出したような印象を抱いている。
上 p.39
「あやういところで抜け出したね」とファレルはあとで言って、ぼくの隠喩を無意識ながら正しく補強した。「ここではみんなおぼれ死んでしまうんだよ。それに、死体すら見つからない」
上 p.39
彼女はビルの窓から飛び降りて自殺したが、驚いたことにそれはほんの二、三週間前マンハッタンで起こった出来事だった。のちにわかったところでは、六番街でぼくの住いからほんの角をまがったところに住んでいたのだ。グレニッチ・ヴィレジのような狭い地域に二人とも何か月か住んでいて、互いに一度も顔を合わさないのは、この都市の非人間的広漠の象徴だ。
上 p.81
ネイサン嫌だなあ、人の差別的な、あるいは差別的と取られうるように自分が感じた態度には正義を振りかざして怒り狂うのに、自分自身ががそのような態度(偏見)に陥っていることには大した関心がない感じlemonadern.icon
これはある程度はしょうがないことだけど、だからこそ誰しもが自分に問い続けないといけないところだと思うから
悲劇的な歴史をもつ民族だとしても決して他の人間より偉いわけではないだろうに
p.106 のところで「こういう悪口はどちらにも言えるんだ」とスティンゴが強めにネイサンに言ったとき、ネイサンは「心から鷹揚に」謝罪していた。お互いの遠慮ない衝突から咲くような岡本太郎的調和観とはこういうのを言うんだろうかと思ってすこし感動していたのだけれど、読み進めるうちにネイサンはどうやらただ関心がないだけだったように思える。仲直りしようということ以外にはこいつが何やらワーワー言っているなくらいの認識しかないのだろうなと思う。 ネイサンの知性、先見の明
スティンゴに、喫煙は体に悪いと言う
ここで注意しておきたいが、一九四七年当時喫煙が健康に及ぼす真の害毒は医者でもかろうじて推察している程度だった。喫煙が確実にからだをむしばむ害を与えるなどと一言でも言おうものなら、世慣れた連中からそれはおもしろいとからかわれた。
p.103
p.128~138 スティンゴとネイサンの言い合い
ネイサンの嫌な所がめちゃくちゃ出ている
スティンゴ、たぶんあなたは小さなことだと思うでしょうけど、さよならアデューと別れも告げず、なぐさめやいたわりの言葉もかけずに死出の旅路につかせることは、がまんできないほとひどいことなのよ。 上 p.160
ソフィーがポーランド時代の過去について語っているときの台詞
アメリカの詩人
Because I could not stop for Death — (712番 1863年)
p.188
p.189~190 ブルックリン大学構内の男女の描写
「あたし、ひどく気分が悪い」目に見えない親切な医者に話しかけるように彼女はひとりつぶやいたが、やっとワイスに対して、「アメリカ詩人のディケンズはたしかにいるんですけど」と息をつまらせながら言った。するとあの詩の言葉、死と時間を縮小した悲しみの音楽が鳴りひびくあの詩の言葉が、家具や愛国歌や自己の肉体と同じようにアメリカの図書館員にはなじみ深いものと思えて、ソフィーは自分が唇を開き、「わたしが止まって<死>を待てないから……」と言いはじめようとするのを感じた。だがひどい吐き気がして、言い出すまでの何秒かのあいだに、ショーロム・ワイスの不寛容な頭脳領域のどこかで「おれにさからうとはバカな、なまいきな」という気持が示されたのを見逃してしまった。ソフィーがその詩の言葉を口に出すまえに、ワイスの声は「静粛」という図書館の掟をまっこうから破って高く響き、遠くの暗がりから何人かの人びとの頭をいっせいにこちらへ振り向かせた。きしるような荒いかすれ声で、不必要な悪意に毒されて気むずかしく、小権力の持つ粗野な怒りに満ちた叱責だ。「言っただろうが」とその声。「そんな人ばいあに!絵にでも書かないとわからないんか。言ってることが聞こえないのか!」
pp.191-192
ブルックリン大学の図書館員である男(ワイス)に、ソフィーがディキンソンの本の場所を聞くところ
ソフィーはディキンソンをディケンズと勘違いしていた
引用は、ワイスからアメリカにディケンズという名前の詩人はいないと言われた後から
「あの詩の言葉、死と時間を縮小した悲しみの音楽が鳴りひびくあの詩の言葉が、家具や愛国歌や自己の肉体と同じようにアメリカの図書館員にはなじみ深いものと思えて」「頭脳領域のどこかで~という気持が示されたのを~」「きしるような荒いかすれ声で、不必要な悪意に毒されて気むずかしく、小権力の持つ粗野な怒りに満ちた叱責だ。」
p.196 手紙の内容を先に示唆する(?)
まだ六十歳、事実上人生の春だとわたしが開き直って考えはじめている年齢だ。
p.196
「事実上人生の春だと開き直る」のいい。すべての年齢で使えるlemonadern.icon
マグロウヒルの蜂の巣の中でブンブンいっていたころは、なにか病的で自虐的な気になって人びとから遠ざかり、空想と孤独の世界に逃れていたが、それはぼくとしては不自然なことだ。だいたいは付き合いのいい人間で、真心から友情を求める気持ちにかられると同時に、人間を結婚させたりロータリークラブに加入させたりするあの恐ろしい孤独感にはうちひしがれる。ブルックリンに来たとき、ぼくは痛いほど友達が必要な点にまで達していたが、その友達がみつかって鬱積していた不安がおさまり、仕事ができるようになった。四つのうつろな壁に縁どられた沈黙の器のまま部屋が存在するのを恐ろしく思わないで、毎日毎日はげしい労働をやり通せるのは、たしかにきわめて病的で隠遁的な人物だけだろう。人間の悲惨と喪失が深くしみこむ、緊迫して狂気じみたこの小さな葬儀の図絵を描いたあとでは、ビールを二、三杯飲み、ソフィーとネイサンの友情にひたる権利はあると思ったのだ。
pp.205-206
主人公と自分をめちゃくちゃ重ねてしまう。この感覚わかる。lemonadern.icon
二十歳代では、人生のもっとあとの時期よりも、二、三年の差がはるかにものを言う。つまり、ネイサンは三十歳ぐらいでぼくは二十二歳だから、二人が四十代の場合には考えられないほど、ネイサンは実質的に「年長」となるわけだ。
p.208
ちょっとわかる
ソフィーのように、またネイサンのように、ぼくもあの青年時代には(ロックやフォーク復活のはるか以前で)、クラシック音楽が単なる肉や酒以上の欠かせない麻薬、紙の息吹にも似たものだった。(言い忘れていたがマグロウヒルでは休み時間や仕事後によくレコード店に立ち寄り、ムッとするような当時の試聴室で何時間も音楽を聞いたものだ。)そのころのぼくにとって、音楽はそれ自体が存在理由に近いものだったから、心をかき乱すあの曲やこの曲、脅威の糸で縫ったバロック音楽のつづれ織りなどにあまり長い間接しないでいると、危険な犯罪を犯しかねないほどだった。
p.215
当時のレコードは割れやすく、現在のように大量消費の安価な品目にはまだなっていなかった。人はそれほど気前よくレコードを他人に使わせなかった。レコードは貴重品で、ぼくはこれほどたくさんの音楽が自由に聴けるようになったことはまだなかった。ネイサンが与えた約束は、色欲にも近い愉悦でぼくをいっぱいにした。夢見てきた桃色に売れる女性の肉体をいくらでも自由に選んでいいと言われても、こんなに有頂天の欲望をそそられることはなかったろう。「取扱いには充分気をつけますからね」とぼくはあわてて付け加えた。
「信用しているよ」と彼は言った。「でも、気をつけてくれ。セラック盤ってやつはまだ実に割れやすいからね。二、三年すれば割れないレコードが必ず出る、と予言はできるんだが」
「そうなったらすてきですね」
「それだけじゃない。割れないばかりか、凝縮して、そうだね、交響曲全曲とかバッハの聖歌全体を一枚のレコードの片面で聴けるだろう。きっとそうなるよ」彼はそう言って椅子から立ち上がり、ほんの数分間でユダヤ文言復興の予言にLPレコードの予言を加えた。「スティンゴ、音楽の至福の時代は近いよ」
pp.216-217
セラック
レスリーに会う前の主人公の感じ、合コン前の高専生みたいだ
1940年台の性事情(?)気になる
それ以前はかなり禁欲的な時代だった?そういう描写がいくつもある
その間ぼくの注意はついあの驚異的な乳房からさらに臍のほうへと何度も何度も引き寄せられるのだ。臍は完璧な姿の小さいさかずきで、ぼくは一瞬、幻想のなかでそのさかずきからレモンの「クールエイド」か何かそのようなネクターを舌でなめながら飲む。
p.231
Kool-Aid
アメリカの粉末ジュースのブランド
nectar
果実をすりつぶして作る飲料
別のブルックリンの桂冠詩人ウォルト・ホイットマンの話をしていたとき、ぼくはレスリーの言う話の内容にはそれほど耳を傾けなくてもよいことに気がついた。大学やそのほかの場でこの厳粛なちょっとした文化的言葉遊びを何回も試みているうちに、これは一つの序曲だ、話の内容よりも言葉が推定させる話の権威のほうに重みがあるという相互感覚の予備的な探り合いだ、と気づくようになったのだ。
p.231
p.235 地の文的なところが括弧になっていて、意識が現実から離れている感覚をおぼえる
カッコで夢うつつのかんじ?現実が自分から遠い場所にあるみたいな表現にみえた
読み進めるとここは別にそういう意図ではないかもしれない
レスリーの脈打つ首筋に指先で卵形の模様をゆっくり描いていると、彼女が手をのばしてぼくの手をなで、「あたしの分析医の話じゃ、人間は結局アンフアンすばらしいファックだけが一人一人に必要だとわかるまで、自己を永遠の敵とするんですって」と言うのが聞こえた。詰まりがちでよそよそしいけれども誠実な口調で「きみの分析医はきっととても賢明な人だね」と言う自分の声が聞こえる。長い間レスリーは黙っていたが、やがてこちらを向いてぼくの顔をまともに見つめ、欲望をありのままに示しながら、ぼくの心臓を停止させ知性と感覚の平衡を奪い去るような、ものうげだが率直な誘いの言葉をついに口にした。「きっとあなたは女の人にすばらしいファックをすることができると思うわ」そこで、こんどの木曜日の夜にともかくデートをしようという約束になったのだ。 p.238
ソフィーはきしむピンクの椅子の背もたれに頭をもたせかけた。あきらめの気持、軽い絶望の気持で考える。もしかして事柄の基本的な部分をいま根気よく明快に説明してしまえば、それで終わるかもしれない。運がよければ、だれにも話したり明らかにしたりできないいっそう暗く複雑な事柄をこれ以上せんさくされないですむかもしれない。それに、もう今ではほとんどだれにも結局知れわたっていることをあまり謎めかしたり気どって秘密にしておくのは、おそらく不合理で失礼なことだろう。とはいっても、意外にわかっていないかもしれない。ここアメリカの人たちは、公表された事実や写真やニュース映画を見ても、起こった事柄をいまなおきわめて空虚で表面的な次元でしか理解していないようだ。ブーヘンワルト、ベルゼン、ダハウ、アウシュヴィッツ、みんなおろそかなきまり文句になっている。ほんとうの認識のレベルで理解してもらえないことが、過去のその部分にかかわりあうことで感じる身を引き裂かれるような苦痛とはまったく別に、ソフィーがそれをめったにだれにも話さない理由だった。
pp.261-262