戦後日本型循環モデルの解体
戦後日本型循環モデルとはなにか?
中間集団
中間集団とは、国家と個人のあいだにある集団のこと。
例: 家族、学校、地域(コミュニティ)、企業、宗教団体、労働組合、商工会議所、農協、漁協、NPO/NGO
ヨーロッパの中世において生まれた、人の生活を維持するための機能を内包した集団。
近代化が進むにつれて、中間集団は弱体化、解体化が進行し、それと共に〝個人〟が析出される。
実際には、近代化が進んでも、中間集団は完全に消滅することなく、近代化を下支えすることになる。
近代化のなかの、中間集団の残存状況によって、社会の類型化を行うことが可能となる。
戦後日本型循環モデル(定義)
バブル経済の崩壊に至るまでの日本社会において、人々が、自分自身や、日本社会に対して持っていたイメージというのをモデル図的にあらわそうとしたのが図1(下図)です。横軸に時間をとり、縦軸は、豊かさとか地位とか、上に行くほどよくなっていくことを示す軸としました。この青いもこもこした形は、高度成長期でも、日本社会は完璧に平等な社会などではなかったことを示そうとしています。不平等を含み込みながらも、社会的に一定の凝集性はあり、かつ、時間とともに、それぞれの層が平行移動的に右上に移動していく。上がっていく中で、格差もだんだん縮まっていくのではないか。この時期には、このような感覚が幅広く共有されていたと思います。
例えば、「1億総中流社会」という言葉もありました。当時のデータを見ると、総中流どころか、さまざまに収入格差などはあったわけですが、どんな人でも、よりよい明日が待っているというような感覚においては平等だったということが、そうした言葉の背景にあったと解釈することができると思います。この時期の日本社会の、文字どおり回り方を、私なりに把握して図にしたのが図2です。
私はこれを「戦後日本型循環モデル」と呼んで愛用しているのですが、その特徴は、教育と仕事と家族という3つの別々の社会領域の間に、太く堅牢で、かつ一方向的な矢印が、3つの領域を結びつける形で成立していたことです。ある社会領域のアウトプットが次の社会領域のインプットとして流し込まれるという形で、社会循環が回っていたというのが、この戦後日本型循環モデルの大きな特徴です。
図1:高度成長期〜バブル経済崩壊まで
https://www.jil.go.jp/event/ro_forum/20120630/houkoku/images/01_honda/03.png
図2:戦後日本型循環モデル
https://www.jil.go.jp/event/ro_forum/20120630/houkoku/images/01_honda/04.png
戦後日本型循環モデルをもっと知るために
映画「ALWAYS 三丁目の夕日」(2005年)
https://youtu.be/fmeB08Qd4Qo
戦後日本型循環モデルにおける家庭-学校-会社の依存関係
https://gyazo.com/f77de6fe4ac87fb839b7c41f4514a820
https://gyazo.com/ec19c910fea184453da2dad8713bb6e6
https://gyazo.com/d9cd3f59f4d343ff6f7429dfea049299
戦後日本型循環モデルの特徴
1. 三領域を結ぶ矢印の基盤は ヒト カネ ヨク
人間の移動/資金・賃金/社会的上昇意欲
2. 三領域の関係にある 成長 という視点
人々の上昇移動/時間軸(世代)
3. 都会への 人口集中
安い若年労働力が都会の基幹産業に流入
4. 性別と年齢に応じた 役割分業
父=生産領域 母=再生産療育 子=教育領域
5. 中間集団(会社 家庭 学校)の 凝集性 と 同調圧力
強いメンバーシップ/自由度や多様性の欠落
6. 現在のさまざまな 社会問題を生み出す温床
モデルの成立条件が崩れると社会問題が顕在化する
戦後日本型循環モデルはどのように作られたのか?
https://gyazo.com/04075de6f9c239c81158d962c6349f7d
戦後日本型循環モデルはどのように変化しつつあるのか?
https://gyazo.com/cff218d3150c97f00b85f4765b428925
https://gyazo.com/cafc3848ac6644464cbafab23b2b27d3
https://gyazo.com/3f1142e1ff8e3f830aafaed35e2dfad6
https://gyazo.com/4ac3debd8a2238e94571707f6e0b9ee1