イギリス労働者保護政策の系譜
産業革命下の都市生活の変容
蒸気機関の活用が日常化する→高速大量移動の可能性が高まる
農村を離れて都市に定住する→工場労働者
初期の労働者は社会的な立場が弱く,安価な労働力として扱われていた。
女性や子どもなど,主たる家計が他にある者が賃労働者化し、低賃金労働を強いられがちであった。
市場経済の浸透によるライフスタイルの変化(大衆の形成)
人に雇われて働き、賃金を手にし、その賃金で生活を賄う(労働の対価としての賃金)
衣食の生活に大量生産された消費財が流通する
労働環境の改善が徐々に〝社会問題〟視される
長時間労働
児童労働
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劣悪な労働環境
低賃金労働
初期労働者保護政策の展開
工場法(イギリス,1802年)の制定
綿糸紡績業で9歳以下の子どもの雇用禁止
18歳以下の労働時間は1日12時間までに制限
工場法の適用範囲の拡大(1833年)
児童労働の禁止
労働時間規制の導入
工場監督官の配置義務化
その後の労働者保護政策の展開
炭鉱法(1842年)
10時間労働時間法(1847年)
失業労働者法(1905年)
調停委員会法(最低賃金の確定)(1909年)
貧困観の変容:貧困の社会問題化
景気循環が確認される⇒不況は避けがたい現状
貧困の原因の見方が転換する
以前:貧困の原因は〈個人の怠惰〉にある→自己責任
以後:貧困の原因は〈経済社会のしくみ〉にある→社会問題
貧困は怠惰が原因ではない→社会のしくみが不可避的に失業者を生み出す(産業予備軍)
貧困の社会調査の実施(C.ブース/B.S.ラウントリー)
貧困は怠惰と言うよりは低賃金社会が創り出した社会問題である
劣等処遇原則→劣等を決める基準が明確化する
貧困の国家責任