イギリス救貧法の系譜
16世紀〜17世紀のイギリス社会問題
封建制度のもとでは,領主の土地を農民が借り受けて個別に農業を営んでいた
農地を追われた農民の急増→浮浪者化
天候不順による穀物価格の急騰
囲い込み(エンクロージャー)運動(穀物栽培→牧羊,三圃制→ノーフォーク農法)による村落の縮小・消滅 居住や職業規制に関する制度の見直し→浮浪者(貧民)の一部が都市集中化
貧困者に対する国家統制の強化
浮浪者(貧民)に対する労働強制
単身高齢者に対する施設救済
財源:教区内の土地保有者(領主)が負担する救貧税
内容:貧困者の救済・保護/労役所での就労の強制/浮浪者の取り締まり
目的:都市部に集中していた浮浪者の整理
貧困者:
身寄りのない高齢者→施設に収容して救済(院内救済)
病弱な者→施設に収容して救済(院内救済)
働ける(が働いていない)者→労役所による就労の強制(働かないと奴隷にされる)
エリザベス救貧法を生み出した社会環境の変化
社会問題の変化
エリザベス救貧法のマイナーチェンジによる対応を重ねていく
貧困者に優しい制度の導入
院内救済→院外救済
賃金補助・児童手当の支給
市民革命による「市民」の台頭
貧困者に優しい制度の見直し
貧困者に優しい制度の導入が労働者の勤労意欲を低下させ,失業者を増加させ,租税負担者の反感を買うことになった
論点:
劣等処遇原則の導入
貧困を個人の道徳的責任とし,被救済貧民の状態は最低の独立労働者の状態以下にしなければならない(劣等処遇の原則)とした。
働く能力のある貧困者の在宅扶助を禁止(院外救済の再禁止)
給付決定を行う専門官吏の配置(中央政府による監督強化)