音MAD
lec-a.iconはこの言葉のレンジをとても広くとっている
音MAD作者は「楽しいこと」と「音MAD」の区別がついていないのでどう考えても音MADではないものに対して音MADだと主張することがある
名は体を表すので、音MADと類似の発想で作られたように聞こえるものをすべて音MADと括り直すのは基本しない方がいいと思うようになった。制作者本人が言ってたらいいけど。
植民地主義的な範囲拡大というより、ただ単に語彙が少ない少年的発想という感じがしており、あんまり目くじら立ててもなーというのは思う。
過去の積み上げを無視してサンプリング表現を何でも音MADと呼ぶのをやめなさいという派閥に身を置いているが、『罪人たち』には、おれが音MADに求めている光景が集約されているシーケンスがあった。これからは音MADでないものから音MADを見出すべきだと思う。
それらしい編集技法にひとまず「音MADっぽい」と親しみを持つのはよいと思う。それをきっかけに、我々と同じような発想と行為はかねてから存在し、それは決して音MADではないが、似たようなことをやっている連中に歴史的連帯を感じるのが、僕としては楽しいですね。映画やアニメソースのサンプル元ネタ集を見てると、名台詞、音が良い、台詞の意味を使うとか、やってることあんまり変わってないなと思いますよ。
ごめんなさい