(サンプル)内田樹『下流志向』(講談社文庫)
019/06/05
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書誌情報
著 者:
書 名:『下流志向 学ばない子どもたち 働かない若者たち』
出版社:講談社(文庫もあり)
初 版:2007年01月28日
文 庫:2009年07月15日 670円
内容
なぜ日本の子どもたちは勉強を、若者は仕事をしなくなったのか。だれもが目を背けたいこの事実を、真っ向から受け止めて、鮮やかに解き明かす怪書。「自己決定論」はどこが間違いなのか? 「格差」の正体とは何か? 目からウロコの教育論、ついに文庫化。「勉強って何に役立つの?」とはもう言わせない。(Amazon 内容紹介より)
アピールポイント
市場原理的思考、工学的思考の問題が明確になり、人間にとって「学ぶ」とはどのような意味をもつ経験かということがよく分かる。
人生上の大切な問題は、そのほとんどが、正解が分からないまま決断(選択)をしなければならない。
学ぶという経験の本質は、「それをやることの意義・価値」がわからないままやり始めるところにある。
しかしながら現代人は、少子社会、工業製品社会にどっぷり浸っている。
「何のために勉強するのか?」この問いに答える責任は教える側にあると思っている人には必読の書。問いそのものが、教育の逆説的本質を理解していないところから出ているのである。
「何よりもまず消費主体として自己確立することを、今の子どもたちはほとんど制度的に強いられています」(略)「こどもたちは それからあと、どのような場面でも、まず「買い手」として名乗りを上げること、何よりももず対面的状況において自らを消費主体として位置づける方法を探すようになるでしょう。当然、学校でも子どもたちは、「教育サービスの買い手」というポジションを無意識のうちに先取しようとします。彼らはまるでオークションに参加した金満家たちのように、ふところ手をして、教壇の教師をながめます。
「で、キミは何を売る気なのかね? 気に入ったら買わないでもないよ」
それを教室の用語に言い替えると、「ひらがなを習うことに、どんな意味があるんですか?」
という言葉になる訳です。
等価交換的な取引のいちばん大きな特徴は、買い手はあたかも自分が買う商品の価値を熟知しているかのようにふるまう、ということです。
当たり前のことですけれど、人間はその価値を知らない商品は買いません。僕たちが商品を買う場合、いくつか類似商品を見比べて、スペックを点検して、性能と価格の関係について比較考量し、その商品が何を意味するかということを知った上でしかお金を出さない、そうですね。カタログ誌を見ればわかる通り、十分な商品情報を持って、適切な商品を選択できるものが賢い消費主体とされる。 まず消費主体として人生をスタートするというのはそういうことです。(初版41〜44頁)
そしてさらに危機的なのは、子どもの目から見て、学校が提供する「教育サービス」のうち、その意味や有用性が理解できる商品がほとんどないということです。学校教育の場で子どもたちにしめされるもののかなりの部分は、子どもたちにはその意味や有用性がまだよくわからないものです。当たり前ですけれど、それらのものが何の役に立つのかをまだ知らず、自分の手持ちの度量衡では、それらがどんな価値をもつのか計量できないという事実こそ、彼らが学校に行かなければならない当の理由だからです。 教育の逆説は、教育から受益する人間は、自分がどのような利益を得ているのかを、教育がある程度進行するまで、場合によっては教育過程が終了するまで、言うことができないということにあります。(初版46頁)
コメント
(技科大太郎)凄く面白そう。ぜひ読みたい。例えば、・・・
(技科大花子)著者のような考えは、グローバル化された現代社会では通用しないと思う。・・・