2024/7/17
laprasdrum.icon ちょっと晴れてきた?
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初めて知ったけどリバースエンジニアリング大好き人間としては触ってみたいところ。
引札
ノベルティについて調べてるうちに広告の原点を探し出し、江戸時代の引札がそれに当たると知った。
現在のチラシ広告の原点としてよく挙げられるのは、江戸時代1683年、新築移転時に越後屋呉服店(現在の三越)が江戸府内全域へ配った「引札」。当時50~60万枚も配られ、配布された当月には前月対比60%もの売上アップを果たしたとの記録が残っています。
当時の引札には「現金安売掛値なし」の文言が。年2回の節季払いという掛売り商法が一般的な時代に、新商法を打ち出し引札で周知するという斬新な手法が庶民の心をつかんだのでしょう。
そもそも、なぜ引札と呼ばれるのでしょうか?これには、お客を「ひく」、お客を店に「ひっぱってくる」という意味が込められているのだとか。また、「ひく」は「配る」を意味することから「配る札」ということで名づけられたともいわれています。
江戸時代には、引札は広告媒体として広く使われていたようです。紙が非常に高価なものだった奈良時代には、その代替品として木簡が使われていました。一方で江戸時代には、格式を重んじる厚手の和紙から、より薄手で気軽に使いやすい和紙が登場。紙の製造コストが安くなり、使いやすくなったことも引札の発展に関係しているのでしょう。
特に年末年始に配られたのが正月用引札。明治時代後半から大正時代初期に数多くつくられました。
正月用引札が通常の引札と大きく異なる点は、配布時期が限定されることと、その配布先です。通常の引札は、店への誘致や商品の宣伝をするため、それぞれが選定した時期に不特定多数へ広く配られました。正月用引札は、年末年始に商店が顧客の家を訪ね歩き、あいさつと共に配っていたとのこと。
また正月用引札は、色鮮やかな絵柄が主体となったデザインで、今のチラシというより「絵びら」に近い存在でした。娯楽品が少なかった当時、一般家庭に正月用引札を配るととても喜ばれ、部屋に貼られ楽しまれていたとのことです。正月用引札は、一時的な広告というより、固定客確保のための広告ともいえるでしょう。
正月といえば、今も新聞などに「暦表」がついているのを見かけます。正月用引札の中にも、暦が書かれたものがありました。お店の名前は中央などに小さく書かれ、紙面のほとんどが暦。1年を通して部屋に飾られたなら、毎日その商店名を目にしながら暮らすわけです。今のカレンダーのような存在ですね。
この他にも、暦とセットで縁起物が描かれた正月用引札もありました。暦や縁起物など、絵柄は変わらずに商店名だけ変える、今でいうところの「名入れ」引札もあったようです。
引札は上方では「散らすもの」というところから「散(ちらし)」と呼ばれていました。大正時代に入り、正月用引札の生産枚数は減少。その名称も、全国的に「チラシ」へと移り変わっていったようです。
明治以降、開国によって西洋文化が一気に流入。西洋風の化粧品も一般社会へ普及していきました。広告業界でも化粧品広告が一気に活発となります。
今日のチラシは、デザインはもちろんのこと、より正しく詳細な「商品情報と価格」が明記されていることが大前提にあります。チラシをつくるにあたり、それらも忘れてはならない大切な要素のひとつです。
しかし原点に立ち返ってみると、見る人の心を打つようなキャッチコピー、シンプルながらも忘れられないデザイン。そんな、事細かな情報だけではない「引札のようなチラシ」があってもいいかもしれませんね。
お客さんを魅了する惹き付けになってるかどうか、今一度ノベルティについて考えるのも良さそう。
コミュニティへの考え方
少なくともiOSDC Japan / PHPerKaigiにおいてはスポンサーは費用補助だけの存在ではなくてコミュニティの一員であり、みなさん、ほんとに情熱と工数を注ぎ込んで、カンファレンス参加者に楽しんでもらいたい、自社/サービスを知ってほしい、という思いでノベルティ含めて企画されてるので、参加者のみなさんもコミュニティの一員としてそれも含めて楽しんで欲しいと思っています。
楽しむことが強要されてると感じたらもうそのコミュニティに自分の気持ちが合ってないことの現れなので、無理に堪えずにコミュニティを抜けたらいい。
色々経験を経て気持ちが変わったらまたコミュニティに顔出せたらいい。
それくらい気軽に入ったり抜けたりしてもいいよね。