肩書とインターフェース
「CTOって言っても会社ごとにやることぜんぜん違う」とはよくいうが、しかしそれならどうして実態が違うのに同じ〈CTO〉という肩書が使われているのか。機能しない肩書なら使われなくなってもおかしくない。
肩書が使われているということはそれが何かしら意味があるからだろう。それはもしかしたらオブジェクト指向プログラミングにおけるインターフェースのようなものなのかもしれない。インターフェースに定義されるシグニチャが示すのは、内側の「何をするか」ではなく、外側からの「何を期待されているか」である。〈CTO〉という肩書は「〈CTO〉への期待に応えること」を宣言しているのだと思う。だから、〈CTO〉インターフェースを実装しています、というクラス(人)が10人いれば、10通りの実装があってあたりまえで、そしてその内容の違いは外部から見たら関心の外、知らなくていいコトなのだ。
CTOに限らずあらゆる肩書・役割はインターフェースであると考える。自分がある肩書・役割をもっていたとして、そのインターフェースでは何が求められているのかという外部からの関心への留意は、「自分はちゃんとやってるのに周りは評価しない」ということを防ぐ。だいたいの他人はインターフェースしか見ていない。インターフェースの内側でどんな実装をしているかには興味はないのだ。