2025-07-14 信頼と信頼性
『信頼と不信の哲学入門』を読んでのメモ
信頼とは何か
わたしたちが人々を信頼するとき、その相手に依拠している。
信頼とは依拠 (reliance) である
しかし、信頼ではない依拠もある
信頼ではない依拠
機械的な依拠
カーテンや椅子への依拠
風除けになる群衆への依拠
あなたは群衆や大道芸人に依拠してはいるが、相手がそのことを考慮に入れてくれるだろうとは思っていない。
ただ相手の存在から利益を得ることを望んでいるだけ
信頼と機械的な依拠の違いは、信頼する側の期待と、期待を裏切られたときの反応に関わっている
コミットメント説
わたしたちが人々を信頼するのは、その相手が自分のコミットメントを果たすだろうとあてにする場合である。
完全な信頼に至るには、能力に対する信頼と意図に対する信頼の両方が必要
仕事をきちんと果たすだろうと同僚を信頼する場合
その同僚がその仕事に必要な能力を持っていることへの信頼と、それらの能力を実行しようとすることへの信頼
善意があっても十分な力量がないと思う=能力を疑うなら、わたしからその同僚への信頼は損なわれる
同僚が怠け者であったり不誠実であると思う=意図を疑うなら、わたしからその同僚への信頼は損なわれる
信頼性=信頼に値することには、能力と善い意図の両方が要求される
自分に課せられるコミットメントを果たすこと=信頼してくれる人々が期待すること
信頼に値する人に求められること
新たなコミットメントを引き受けることに慎重になる
すでに引き受けたコミットメントを果たすことを決意する
自分が果たせないコミットメントにはノーと言える勇気を持つ
信頼を得ること、信頼に値すること
信頼は、その相手が信頼に値する場合には、正しいことである
信頼に値しないものを信頼することは、裏切り、失望、搾取の元となる。
信頼に値する相手であっても、そのコミットメントを誤解すると信頼は誤って働く。
もしわたしがあなたの希望を知らず、気にもかけず、あなたを助けられない、あるいは助けるつもりはないとはっきり言おうとしていたなら、あなたがわたしを信頼するのは間違いだが、...信頼に値しないわけでもない。このような状況では、あなたはわたしを信頼すべきでも不信を抱くべきでもない。わたしがあなたを助けないことは予測できるが、それを信頼の裏切りと考える必要はないのだ。
信頼に値することそれ自体に価値はあるのか?
価値があるのは信頼に値することか、それとも信頼を得ることか?
わたしたちがコミットメントを果たすという実践...は、本質的な価値を持つ信頼性の一種である。
このような信頼性は、信頼を引き寄せることで実践的価値をもつ。
信頼性のおかげで、あなたは他の人から信頼されるに値するようになり、それを効果的に示すことができれば、信頼はあとからついてくる。
信頼に値することを他者に示すことによって、信頼を得られる。
他者からの信頼が得られることによって、多くのやりがいあることの追求が可能になる。
信頼性は個別のケースごとに示すことはできない。あるいは、最も重要なケースでもできない。
信頼は、信頼される側が信頼に値することを直接示すことができない状況において最も価値があり、最も危険なものとなりうる。
信頼性が最も重要なケース=信頼される側が信頼に値することを直接示すことができない状況
信頼される側が信頼に値することを直接示すことができる状況とは
わたしの信頼性の証明を裏付ける独立した情報源をあなたがもつ場合
だが、あなたがそのような情報源をもつのなら、あなたがわたしを信頼するかどうかはそれほど重要ではない。
そのような人物であると「知っている」なら、機械的に依拠するのとあまり変わらない。
そうでない場合、わたしが信頼に値することをわたし自身が示すしかない
しかし、そもそもその証明のためには、わたしが信頼されている必要がある。
このときの信頼はハイリスクハイリターン=最も価値があり、最も危険なもの
信頼に値することを自ら証明するためには信頼される必要がある。(鶏卵問題)
だからこそ一貫性が重要なのだ。
わたしたちは互いの信頼性を部分的に過去の実績で判断する。
過去から現在までの実績から帰納的に推論される信頼性によって、その相手が信頼に値するかどうかを判断している。
「対応バイアス」と「根本的な帰属の誤り」
人々が一見して信頼に値する行動をとり、誠実に話し、約束を見るのを見たとき、わたしたちはその人々が基本的に信頼に値する人々であると結論づける可能性が高い。
逆に、人を欺いたり、コミットメントをやり遂げなかったりするのを目の当たりにすると、わたしたちはそれを性格的な欠陥、つまり信頼に値しないせいだと考えてしまう。
このことから、信頼を引き寄せるときは信頼に値するということになり、疑いを引き寄せるときは信頼に値しないという長期的な実践的影響が生じる。
だからこそ、実行できる見込みのないコミットメントを避けることが重要である。
コミットメントを引き受けたときにはいつも実行しているという実績によって、将来のコミットメントにおいても同様に信頼に値するという評価を受ける。
逆に、コミットメントの遂行に疑いが生まれるような実績があると、将来のコミットメントにおいても信頼に値しないと評価される。
「信頼貯金」と呼ばれるものの正体は、この一貫性だろう。
「貯金」という比喩に反して、これは自由に切り崩せるようなものではない。
疑われるようになってしまったら=一貫性がないと評価されたら、信頼に値しなくなってしまう。
一度失うと取り戻すのは難しい。なぜなら個別のケースではなく、一貫性こそが信頼性を生んでいるから。