研究者になるのは難しいか?~ポスドク問題・分野ごとで異なる難易度~
研究者になることは難しいだろうか?本記事を読んでいる学生(?)は,『当然,難しいでしょ!』という回答を前提としていると思われる.実際,研究者になるのは容易ではない.平均的な学生より優秀であることは当然求められる.しかし,
『難しさは分野によって本当に大きく異なる』
ということを知っておくのは良いと思う.金澤は本記事執筆時(2023.02.11時点)では助教であり,人事には一切タッチしていない(逆に人事にタッチし始めるとこの手の内容は記述しにくい).しかし,金澤は物理出身でありつつ,情報系・工学系・経済系の同僚が入り混じった学科などを経験し,世間話的なものをよく聞くため,ここでエッセイとしてまとめる.
※1:当然であるが世間話ベースで金澤が感じた印象をまとめているため,本記事の内容の正確性を読者は慎重に判断して頂きたい(本内容に異論があればメールしてくだされば,(時間的な優先度は高くありませんが)将来的に本記事を修正するかどうか一考します).
※2:この記事は「分野ごとの教員需要と供給の関係」についての私見を記述している.一般に仕事の待遇は需給の関係で決まるのであって,それ以上のものではないと金澤は考えている.ただの常識の確認ですが...
※3:この手の話は時代とともに大きく変わるので,2023.02.11時点の話だと思って読むこと.
※4:Twitterでバズってほしくないので,あまりTwitterで触れてほしくない(当然触れる権利は皆さんにありますが)
1. 分野ごとに異なるポストを取る難易度
ポストを取る難易度は分野によって大きく異なる.難易度は学問の貴賤を表しているわけでは全くなく,単にポストに関する『需要と供給の関係』で決まっていると金澤は思う.金澤が見聞きした話をする.
情報系
まず情報系は民間就職が強く,大学教員に残りたい人が少ない(ここで言う情報系は,CS・機械学習といった『普通の情報系』を想定している.物理出身の人がメインとなる量子情報や量子基礎系はまた別).その関係で「公募を出しても良い人が来ない.せめて給与を民間レベルにあげないと...」という話をよく聞く.ちなみにポスドクでも情報系なら800万円/年程度を出さないと良い人は来ないと言われる.例えば,名古屋大の片桐孝洋先生は次のように述べている:
@Taka_Katagiri: RT>個人的意見では、ポスドクなら最低3年間、年収800万円以上を標準にしないと、情報系ではアカデミックでさえ、あつまらないというのが感触。企業に行くぬ。まして情報系は、任期5年程度の助教は公募しても来ないというのが経験ですぬ。学振PDは最悪時の補償ぐらいかもしれませんぬ。 様々な同僚が独立に似たようなことをよく言っていたので,金澤の妄想ではないと思う.情報系は社会的な需要が非常に高く,誰の目から見ても現代的な価値があるので,ポストの供給が多いのだろうと,金澤は解釈している.特に最近は情報系ポストを政府が増やそうと努力しているし,そもそも情報系は工学部に入る可能性が高く,工学部は多くの大学に設置されている.
経済・工学系
経済・工学系も就職事情は良い.たとえば,筑波大社会工学での博士課程卒業後の教員採用率は結構高い.少なくとも物理出身の金澤の感覚としては,社工にはオーバードクター問題の悲壮感(『無職』をキャリアの一環で経験するリスクなどを想定した焦燥感など)が全くない.最終的に良いポストにつけるかどうかは業績に寄るが,少なくとも「どこかでは生きていける」という楽観が強い.これは経済・工学系でも民間へのoutside optionが用意されており,教員になるかどうかは「学生が選ぶ」という感じがあるからだと思う.いきなりテニュア助教になる人がかなり多く,『ポスドクを必ず経験するのが普通』という感じではない.つまり,情報・経済・工学では『売り手市場』(※労働力の売り手=学生,買い手=採用側)なのだと思う.また,情報・経済・工学は様々な大学でポストがある点が,ポストの多さと関係しているように見える.
物理系
一方,物理系はそれよりも難易度が高い.D卒時点で民間に就職することはそこまで難しくない(東大の物性卒の友人曰く,企業就職はD卒時点で結構うまく行っているとのこと)が,『理学部物理学科への就職』に拘る場合は,そこそこキャリアで難航することも多い.いきなり助教になれるケースは少なく,大抵はポスドクを経験する.任期付き助教を経験することも多い.つまり売り手側が弱い『買い手市場』である.
但し,物理でも「どの分野か?」で大きく事情は異なる.たとえば学際系(社会経済物理・ネットワーク科学・機械学習など)での就職事情はそこまで悪くない.というか金澤の感覚では『かなり良い』と思う.というのは理学部物理学科だけではなく,情報・工学系などでも職が取れるからだ.情報・工学系は多くの大学でポストがあるため,多くの公募が出る.情報・工学部は「役に立つ見込みがある」のであれば非常に寛容に様々なバックグラウンドの研究者を受け入れている.実際,筑波の社工ではたとえば数学系であっても,「社会の役に立つ見込みがある」のであれば非常に寛容に教員を受け入れていた.またポスドク以降であっても民間からのオファーも多い.実際,金澤も経済物理のPRL論文出版後に,著名なヘッジファンドから声がかかったことがある(筑波大助教時代;断ったが).
物理であっても物性系は,工学系でポストが取れる事が大きな強みになっている.多くの国立大学が工学部を有しており,工学部での物性研究のポストを取ることが出来る可能性がある.統計物理系は、結局博士号取得後に学際系に転向することが多く、学際系では工学部などでの就職がある程度可能であるため、そちらのルートで生き残っている人が多い様に思う。
一方,素粒子理論系は就職状況が非常に厳しいらしい.ここら辺の事情は
などを読んで判断すればよいと思う.素粒子理論関係者の就職事情については様々な人が述べているため,金澤個人の印象ではなく,殆どの物理学者が知っている公然の事実だと思う.金澤の私見としては、素粒子理論系だと工学部就職が視野に入りにくい(視野に入れるには学際系への転向が必要だが、その際のgapが統計物理系より大きい)からだと思っている。
2. Twitterなどの情報を鵜呑みにしない方が良い
Twitterなどで研究者の惨状が叫ばれており,学生も研究者を目指すことを避けるようになった.これは当然仕方がない事だと思うし,ある意味では良い事だと思う.しかし,正直分野毎にこういう『惨状』は異なっているので,そこは強く留意した方が良い.金澤も多くの分野の研究者と喋るようになるまでは気付かなかったが,惨状を訴える研究者のバックグラウンドを見ると,非常に偏りがある.分野ごとに全く就職事情が異なるが,『特定分野の研究者が,特に惨状を訴えている』という側面がある.
大学は分野ごとに『全く別の国』だと思った方が良い.しかし,素人目には『全員,大学の研究者である』と思ってひとまとめに映ることが多く,何もフィルターを掛けないとバイアスが大きくかかった情報を取得することになる.また,『状況が悪くない研究者』はあまりTwitterで惨状を訴えないため,表に出てこない.状況が悪い分野ほどその状況が拡散されていると金澤は感じる(それ自体は問題ではなくむしろ適切だと思うが).つまり,Twitterでの情報は相当バイアスが掛かっているので,それを適切に補正して自分の興味がある分野の状況を理解する必要があると思う.
3. 自分の分野の就職率はその分野の人に聞こう
Twitterなどで得られるpublic informationに相当のバイアスが掛かっていることを述べた.ではどうやって『自分が興味を持つ分野』の就職率を調べればよいだろうか?この手の話は関係者(たとえば先輩)に聞くしかないと思う.先生にも聞いた方が良い.但し,『先生』は自分の分野に学生を誘致するインセンティブがあるため,先生だけの意見を聞くのが良いかは正直金澤にはわからない(ここは学生と教員の利益相反の問題だと思う;金澤は思ったことを淡々と答える(またここに書いている)つもりではあるが,金澤も当然『教員』であるため,各自がそこを割り引いて判断する必要がある).ただ,研究室出身者のアカデミア生存率を計算するのは非常に良いと思う.兎に角,色々な人に話を聞こう.ちなみに「情報系・経済系・工学系」とひとまとめにしているが,当然より細かな分類も可能であり,subfield毎に就職事情は異なりえる.こういったカテゴリ設定も自分で考えて調べる必要がある.
4. 生き残っていくための選択肢
金澤の意見としては,『職業研究者』を目指すのなら,分野は『教員のなりやすさ』を多少は意識した方が予後が良いと思う.また,D卒時点で分野変更を選択肢に入れるのは,十分現実的な選択肢だと思う.物理でPhDをとっても,ポスドク時点で異なる分野に行くことは可能である.実際,金澤は統計物理学でPhDを取り,その後は経済物理の論文を書きながらポスドクをやり,生物物理の論文を筑波大の助教(社会工学)で書いた.2015年3月に統計物理学でPhDを取った同期の友人だけを見ても 情報系(伊藤創祐さん)
生物物理系(伊藤創祐さん,川口喬吾さん,中山洋平さん)
疫学系(根本孝裕さん)
冷却原子系(池田達彦さん,杉浦祥さん)←※ここの分類は正しくないかも?
経済物理系(金澤)
など,D卒後に別分野に転向していた研究者が殆どだった.その意味で言うと,統計物理学系では『D卒後の分野変更』はかなり普通のキャリアパスだと思う.『強かに戦略を練って,ワイルドに生きていく』ということも選択肢に入る.
2023.04.13追記(2023.05.07に微修正)
素粒子・宇宙理論系の同期と,キャリアについて最近雑談していたが,国内でテニュアポストを取った同期は2名程度しかいないようだった (海外TT助教があと1名?;友人が知らない/覚えていない人もいるかもしれないが) .他は全員任期付きの様だ.また,賞を貰うような優秀層であってもacadexitの話がちらほら聞こえている.
金澤は現時点で35歳だが,統計物理周辺では,この年齢だとテニュア取得している同期は特に珍しくないので、やはり素粒子宇宙のアカデミックキャリアは別世界だなと感じる (金澤のテニュア取得は35歳@京大理物准教授だが,年齢的には別に早い方ではない.遅すぎるわけではないが).同期・直近下級生の3割程度(いや半分?)は既にテニュアポストを取っている.
素粒子の同期から,「ポストの数は統計物理理論と素粒子理論で同じはずなのに,なぜそういう差が出るのだろう?」という質問をされ,自分なりに理由を考えたのが,『その認識は間違いで,実質的なポストの数は同じではない』というのがあると思う(金澤も大学全容は見えていないので正しいかわからないが).というのは,統計物理系は結構Dを取った後に緩やかな学際系への分野転向をするのが普通に選択されるキャリアパスとしてあり,また,少し応用寄りに研究を寄せれば,工学系・情報系・学際系(生物物理,アクティブマター,社会経済物理を含む)のポストにも応募できる事があるからだ.仮に思考実験として,『もし統計物理系でD卒後に緩やかな分野転向を禁止し,工学系・情報系・学際系に応募してはいけない』というルールを,統計物理理論でDを取った卒業者全員に課して競争させることになれば,応募可能なポストが劇的に減るので,全体としてのキャリアパスがかなり大変なことになると思われる.統計物理理論も素粒子理論も,properポストは理学部物理学科がメインであり,それは数としては多くない.しかし,緩やかな学際系への分野転向が主な視野に入るかどうかが大きな差になっているのではないかな,と言うのが金澤の個人的な考察になる.
例えば最近,素粒子系のディシプリンをもって機械学習系にチャレンジする研究が流行っているが,それは金澤が想定する『統計物理では多い,緩やかな分野転向』と似たようなものだなと感じており,そういう風に選択肢の『次元』を増やし,業界全体としてのキャリアパスを増やすのは就職事情を改善する上で正しいmoveではないかな,と個人的には思う.基本的に『1次元的な世界線』で競争するのは過当競争になりやすく,選択肢の『次元』を増やして過当競争を迂回する努力をするのが,キャリア形成上のリスクヘッジになると金澤は現時点では感じている.