なぜ新聞紙はあの大きさなのか1
手を広げないと開けないサイズ。電車でも読みにくい。通勤用ではない?
動きを制限している?
片手間で読めない。片手間で読みたい人を排除している気がする。
スマホも普及している今でもあのサイズで変わらないのはなぜなのか。時代についていけなくなった中高年が変化を拒んでる(おっさんおばさんが変化を拒むというのには根拠がないが)?新聞に求められているのは時代に左右されない安定性?
それにしても読みにくい。駅や電車で読んでいる人に目をやるまでもなく、視界の隅に映るだけで新聞読んでるって分かる
めくるときに音がする
いつから新聞はあるのか?その当時のサイズは?どんな人が読んでいた(階級、仕事、性別)?
江戸時代後期の幕末には、手書きの回覧文章を「新聞」と称するケースがあった。
明治時代に入ると、文明開化の流れに乗って新聞が多数創刊された。
明治政府は新聞の普及が国民の啓蒙に役立つという認識から、新聞を積極的に保護する政策を取った。当時の明治政府は日本各地に無料の新聞縦覧所や新聞を人々に読み聞かせる新聞解話会を設置したほか、新聞を公費で買い上げたり郵便で優遇したりして各新聞社を支援していた。
1874年に民選議院設立建白書の提出などを契機として自由民権運動が盛んになる(中略)頃の新聞は、政論中心で知識人を対象とした「大新聞」と娯楽中心で一般大衆を対象とした「小新聞」に分かれていた。
1874年に『読売新聞』、1879年に『朝日新聞』が創刊。
印刷に関して
日本の新聞の歴史は、紙などが庶民に普及し出した江戸時代に見る事が出来る。有名な物では、瓦版と呼ばれるもので、亙に文字を彫り込み、凹版印刷の要領で多量に印刷し、作る物である。
明治期になるとヨーロッパなどから活字印刷技術が導入され、凸版印刷が主流になる。
昭和中期に入ると鉛板に活字を彫り、1枚の板状の凸版印刷となる。
昭和後期から平成期になると、印刷にコピー機の原理が加わる。
また、新聞の印刷は1980年代前半ごろまでは鉛版を使い、手作業で紙面を製作していった
↓仮まとめ
サイズ、人は分からず。人については身分が制度として分かれている時代の後あたりからっぽいので上位階級がゆっくり座って読む人向けに作られたとかそういうことはなさそう。国民の概念がある明治時代の啓蒙に使われてたことからも排除ではなく逆にみんなに一定水準の学を、みんなを国民にするためのツールになっていたよう
考えてみればメディアって大衆の象徴ってところありそう(曖昧)
というか今は産経新聞とか朝日新聞とか職業によって読まれる傾向がある新聞が違うから、新聞がある階級を排除しているとは言えないのでは
今はそうかもしれないけど初めはどうだったのかわからない
印刷の都合はどうか?
↓まとめ
新聞のターゲットは幅広いようす。サイズ決定の目的として排除があるわけではなさそう。このサイズだから結果的にこういう人は読みにくいよね、はあるかもしれないけど。このサイズだからこう言える、といういろんな言い換え(?)も考えてみたい。
印刷やその他の事情でやむを得ずこのサイズになった線を考えたい