都知事選とデジタルと民主主義
なんか、2024都知事選で「デジタル時代の新しい民主主義」みたいな話をみんなにわかにしてんのな。
いまさら。
2000年ぐらいと今とでインターネットに大した違いはねぇんだから、その25年で何も変わってねぇんだから何も変わらねぇよ、というのが正直な感想である。
オンライン投票とか、ネットで熟議とか、技術的には別に2000年代で普通にできたろ。
んーまあAIはあるけど、まだコピペレポート提出ロボット程度なのでまだまだかなぁと。
さて、
大学生のとき(2000年)に何かの授業のレポートでこんなん書いたなぁと思い出し書き。
■民主主義の目的
民主主義システムの問題を指摘するとき、
曰く
「少数の声が~」
「社会最適を選択するには~」
という話からはいる人が多いが、
大前提として
「民主主義は全員がゴネるとキリがないのを終わらすためにあるんであって、正しいとか最善を選択するためにあるんではない」
という部分を理解していないように思える。
言い方を変えれば多数決ってのは「少数の声を圧殺する」のが唯一の目的なわけだ。
「文句の出ない全体主義の実行を目指す」と言ってもいい。
■全体主義はなぜ冷酷にならないか?
じゃあそれは、例えば70歳以上は無駄飯喰らいだから全員死刑! →60歳以下が全員賛成しました、可決
っていう、独裁よりずっと危険になりうるシステムじゃないか?
って話だが、実際そうはなってない。
なぜかというと、人間には良心があるから。
正確に言うと、人間には「社会性」というもの(=善性や思いやり)が備わっている。
これは社会の発達の過程で形成されたものではなくて、動物的本能である。
多数決はこのことを経験的に理解した上で選択されたシステムなのだ。
つまり、
「どうやら、俺達はそう簡単には損得で弱者を見捨てられないタチらしいぞ」
ということがわかった上で「それだと多数決は最善に機能しそうだ」と選択されたわけ。
少なくとも世襲の王様の専制よりマシだと考えられたわけ。
「社会性」ってのは別に「人間には神が与えた良心があって~」みたいな道徳論ではなくて、めっちゃ生物的な話。
人間はトラが爪を磨き、キリンが首を伸ばしたように、人間は「共同体の他者が困ることを嫌がる」という性質を進化の過程で獲得してるわけ。
もしかしたら、進化と自然選択の歴史の中で全員がホリエモンみたいな「損得で考えたらこっちがトクじゃないですか~」とか「障害者とか老人を生かすの酸素の無駄ですよね~」的考え方の脳みそを持つ人間の群がいたかもしれないのよ。
でもそれは滅びて、損得を超えて弱者を見捨てない遺伝子が生き残ったのよ。
■仮説:我らは神ではなく良心に選ばれし種なり
ちょっと話とぶが、ホモ・サピエンス以外の人類が滅びたのそれだったりしてな。
ホモ・サピエンスが世界中の人類種を滅ぼして回ったなんて話もあるが、ネアンデルタール人とかが利己的だったから潰れたってほうが論理的整合性は高いと思う。
少なくとも「犬を意味もなく蹴り殺す」とかに抵抗を感じる人間が現代で多数派であることと、
「他人類は種が違うから躊躇なく殺せた」は矛盾する。
実際、知恵による損得勘定が先行して、他人類を容赦なく滅ぼすような良心のない集団って内部崩壊すると思われる。
ところがそこに社会性(良心・倫理・道徳)が加わるとあら不思議、種の存続確率が上がる。
その結果が何種類もいた人類種の中でホモ・サピエンスだけが生き残った理由ではないか。
少なくとも今の人間の殆どが
「良心」
「倫理観」
「義憤」
「気まずさ」
「人を殺したくないという気持ち」
とかいう、まるで損得や個体の生存と関係ない・・・どころか矛盾すらする気持ち(社会性)をほぼ一般的にもっているのは、間違いなく進化過程でそれを獲得した結果であることは間違いない。
まあ時々、その辺全く気にしないヤクザ遺伝子はいるし、
あるいはチョビ髭おじさんに騙されて、知恵での損得勘定がこの辺の社会性を凌駕したりするが。
■ほんでデジタルの話
以下は2000年ぐらいにクソガキパチカス大学生の俺が考えた話ね。
先に結論を簡単に言うと現代(2000年)ぐらいの技術水準だと、
デジタル民主主義時代みたいな壮大な転換点は来ない。
せいぜいオンライン投票と、「2ch de 朝まで生テレビ」以上のもんは来ない。
民主主義の本質が
「多数決しましょ、でないと全員ゴネて話おわらんわ、少数を圧殺しうるがそこは皆様の良心でカバー」
であり、その手段が投票と代表制であるかかぎり、何をどうIT化したところで現在(2000年)と質的には変わらない。
別の言い方をすると、変わるとしたら投票と代表制が無くならないといけない。
■「集団的意思の形成」???
まずよく「集団的意思の形成をITがブーストして~」なんて文脈で民主主義のデジタル化が語られるが
そもそも「集団的意思」なんてもんは幻想である。
そもそも、その「集団的意思」みたいなもんが最善最適であるなんてことに何の根拠もない。
そのへんのおっさんが比較的いっぱい投票しました、ってだけなんだから。
どっちかっていうと、
民主主義において多数決があり、その多数決が”専制”を行うための方便として「これは集団の意思である」みたいに言ってる、というのが実態だろう。
実際は多数決によって選ばれた「個人」が存在し、
その個人の意思が選択をしているだけである。
だからこれがいくらオンラインで投票しようと、
あるいは個人の意見がネットで熟議を重ねられようと、
その結果出てくるのはただの代表者による「俺様(総理大臣)的にはこれを選ぶが、投票の結果だから納得しろ」ってだけの話であり、最適でも最善でもない。
相変わらず野党はずっと文句を言うだろう。
「集団的意思」でもなんでもねぇよそんなの。
ドイツだってWW2で道を誤った結果は「ナチスとヒトラーが悪かった」になったろ?
選挙の結果は集団的意思ちゃうんかーい。なんで個人や特定組織の悪業でしたって結論になるねーん。
つまり「集団的意思」なんてねぇんだよ。
■ネットワーク即決民主主義
じゃあIT革命で民主主義に今後どんな変革が起きうるか?を考えたとき、(※これがレポートのテーマだった)
質的な変化が訪れうるとしたら「直接かつ即時の意思決定システム」の成立しかないと思う。
これはオンライン投票ではなく、あらゆる決定において代表者が存在しないシステムを指している。
いわば究極の衆愚政治である。
これをネットワーク即決民主主義と呼ぼう。
たとえば
「自衛隊で戦車1台買いますか? yes / no」
「長野県にダム建てますか? yes / no」
「核、撃ちますか? yes / no」
を即時にその場で全員が選ぶシステムだ。
これは今の民主主義とは納得の次元がまるでことなる、別の社会システムだろう。
■必要なもの
ネットワーク即決民主主義、以下の技術革新が必要になる。
①高度かつ全員が常時接続しているネットワークの成立。
これはインターネットのような通信インフラとは別に、攻殻機動隊における電脳通信みたいなのが必要。
国民全員が皿洗ってようがうんこしてようが、即時意思決定に参加できるような仕組み。まあ睡眠とかはどうするんだろ、ドナーカードみたいに事前に決めておくのかな。
※「常時接続」なんてのがいかにも2000年の考え方だが、まあこの頃は「ずっとインターネット繋ぎっぱなしとかやべー!」ってワクワクの時代だったんすよ。
②合理的な範囲で法案を作る人工知能
人工知能の独裁ってのは、人間の性質を考えると成立しないと思う。
たとえば税金が上がるとき、「機械が決めたから最善、ああそうですか従います」とはならない。
でも人工知能はずっと高度になるだろう。その「合理性」は、「〇〇ですけどどうしますか? yes / no」みたいな設問を作るのに使われるかもしれない。
というかそうしないと誰が知恵を出すんだって話になる。
これは現在の
・議員による立法案や予算案の提出
・官僚によるデータ集計など
に対応している。
これを人工知能が代替する必要がある。
ちなみにこれは思いっきりエヴァンゲリオンのMAGIシステムの影響を受けていますね。
③人間の決断リソースのサポート
市民が代表を選んで、代表の議員たちがそのまた代表を選んで・・・
で、その結果選ばれたTOPが「うーん、だいたいアメリカとは仲良くする方向で!」とざっくり決めている、というのが今の政治システムなわけだが、ネットワーク即決民主主義では全部の決断をその場で全員が決める。
そうなるとその決断は大量であり、生活における選択(晩ごはん何しようか、服は何を着ようか・・・)の比ではない。
だからこれを個人が超高速で大量に処理できるような技術が必要である。
これは具体的には、電脳のソフトウェアになるだろう。
いきなり音声で「〇〇です。どうしますか?」とか頭の中に流れてきてシンキングタイム1分!とかだととても処理できない。
議題の提起、その理解、決断して投票まで0.1秒でできるような機能が必要だろう。
これはどう実現されるか、今の時代(2000年)では想像もつかない。
まあ①②③どれもあと100年は無理だと思う。
■結論:常時接続インターネットは民主主義をアップデートしない。
とまあ、かなりSFじみたがここまでやって初めて、
いま「民主主義の問題」と言われるような
・少数派が無視される
・選ばれた代議士が個人的に間違いを犯していく
・偏向報道や扇動による誤った誘導
みたいなことは解決される。
むしろ今(2000年)投票システムをデジタル化することは、いくつかの問題を悪化させる可能性すらある。
例えば立候補の手続きは専門家の監督のもとで膨大な書類を書かないといけないが、
これが携帯電話で簡単にできるようになったら、おそらく金持ちの泡沫候補が山のように出現するだろう。
まともな政党でも、昨今のTVと芸能人をつかった中身のないアピール戦略を余計助長するかもしれない。
選挙民だって、「自宅で1秒で投票できるわけではなく、投票所に行くまでの面倒くささがある」からこそ、「手間に見合う熟考」を喚起しているところもあるのだ。
つまり、ある程度不便な紙ベースのシステムにもメリットはあるのだ。
少なくともオンライン投票などのデジタル化や、国会議事堂をなくすことで代議士数を今の十倍にしたりするようなこと(※)では、「総務省の業務効率が上がり、選挙のコストが下がる」以上のことは起きないと思う。
(※このへんは授業で教授が提示していたのでそれを否定している。2000年当時)