さくら野舞御前伝説
戦国時代、さくら野地区にいた姫 舞御前と女武将 橘姫の物語。
戦国時代、さくら野に小さな城郭を構え統治していた舞御前は歌と舞に長け、側近の女武将 橘姫とは仲が良く、橘姫は楽器の演奏を得意として2人で音楽を披露していた。
ある時、山名氏と尼子氏の守護職を巡る内紛「大永の五月崩れ」が起きた。舞御前は山名氏側に付くが、尼子氏の猛攻を受け周辺の城と共に落城し、舞御前は自害したとされた。
日向美ビタースイーツ♪が兎月堂の地下倉庫で肝試しをした際に新たな文献史料『櫻月舞御前伝』・肖像画・橘姫の愛刀「千子村正」と甲冑が発見された。そして文献内で舞御前は自害しておらず、隠し通路で橘姫と共に日向美へ逃れ、隠居していたことが判明。 舞御前の協力者は芽兎めうの先祖、兎月堂宗久と考えられ、兎月堂は地下倉庫の規模から考えてその隠し通路と繋がっていた可能性がある。
旧家通りから天神川を超えた向かい、ふれあいロード先の裏山一帯はもともと日向美大字橘という地名で、以前は橘、立花の姓が多かった。そのため、このあたりに2人は住んでいたと思われる。
日向美で暮らした2人は民衆に音楽を披露し続け、民衆はその記憶を後世に残すため、琵琶の生産が隆盛し、職人の里となっていた。
咲子の父方の祖父 橘紫暮は滋賀長浜で琵琶職人として活動していたが、全国を旅する中で日向美にも訪れており、白兎神社には彼の作った琵琶が奉納されている。温故知新祭りで再現された白兎神社の儀式は、もともと舞御前を偲んで行われたもので、毎年琵琶職人の代表を選び、奉納していた。
さくら野ニュータウン建設の際、裏山の頂上にある廃神社が取り壊されたが、ここには舞御前が祀られていたと思われる。
日向美ビタースイーツ♪、ここなつが納涼祭の肝試しで訪れた裏山の廃ホテルには、歌姫の霊が現れ、出会うと歌が上手くなるという噂があった。これは舞御前が自害したという従来の通説、および神社の取り壊しによる祟りの噂から生まれたものと考えられる。
倉野川名産のちくわは2人の好物であったという研究がある
これらの発見を受け、倉野川市観光課は観光地としての開発(たちばな美観地区など)を進めると共に、「倉野川時代祭り」を開催した。 ※「大永の五月崩れ」は鳥取県に実在する出来事。尼子氏の電撃作戦とされ、ひなビタ♪作中でもそのような説明があるが、出典が後世の地域史料で信憑性に乏しいとされ、近年では段階的な侵攻と見られている。