努力のアンチ
正確には「かけた努力や工数の大きさが価値として評価される」ことのアンチ
努力をもてはやすことのアンチと換言しても良い
成果物を評価するのに、その過程を含めたくない
「努力が評価の一部になる」場合、その価値観の中では努力はコンテンツである
まっすぐな熱意などがもてはやされるが、もてはやされることを前提としたらそれはまっすぐな熱意なのか?
と思うので、「熱意は評価対象にならない」という前提における熱意のほうがかっこいい
努力は報われるべきであるという一般的な感情
結果報われるような努力をするべきで、努力自体が認められるのは違うのでは?
努力していないこと、フリーライドすることに対するズルさ
理解はする
が、意外と露骨なパターン以外はそこまでフリーライドじゃないんじゃないのと思っている
結構万物が既存のものに乗っかってアレンジすることで発展してると思ってるからな
フリーライドを評価しないこととフリーライドされた側の努力を評価することは全く異なる
他者を努力していないので価値がないと断定する醜さみたいなものも感じる
本当にフリーライドで何らかの価値が棄損されているなら、それは法などが解決してくれるでしょう
ktzkn_.iconがシンプルに努力が嫌い
結果から逆算して効率的に行動しようと考える癖が完全についている
トロフィーを集めるような行為が好きだが、それを如何に効率的に取得できるかを考えるのが楽しいから
工数を削減できているということに快楽が発生している
不必要な/方法として改善する余地のある努力を肯定しかねない
愚かに思える
楽できる方法を探すのも向上心だと思うんだけど、みんな泥臭いのが好きだよね
ギャグとしてお出しされた「無駄なことにめちゃくちゃ努力している」は、意味のある努力だと思う
つまり、努力が過程ではなくコンテンツの一部になるから、意味がある
音リビアの泉でktzkn_.iconがやっていた辞書から単語をひたすらピックアップする作業は明確にそれ
実際そういう反響になったので良かったと思う