模擬
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そもそも人類にとって遊ぶとはどんな機能/習慣なのだろうか?
私の考えでは、遊ぶとは本番ではない「まねごと」を模擬的に実行することだったのだろう。
例えば狩りでは、実際の狩りだと死ぬかもしれない。
でも遊びだと、死ぬことなく連携の練度を上げることができたのだろう。
親が狩りをすることによって、子供がそれに目指してまねごとをおこなう。
人間を含む動物は、学習することによって環境に適用し、より生存しやすいように振る舞うようにできている。
そのため、学習に対してインセンティブが働くように、学習を行うと快楽が出るように設計されている。
つまり、「生存のために学ぶのは面白い」のである。
「遊び」の類型
カイヨワは『遊びと人間』のなかで、遊びを次の4つの要素に分類している。
アゴン(競争) :運動や格闘技、子供のかけっこ、ほか。
アレア(偶然) :くじ(宝くじなど)、じゃんけん、サイコロ遊び、賭博(ルーレット・競馬など)、ほか。
ミミクリ(模倣) :演劇、絵画、カラオケ、物真似、積み木、ごっこ遊び(ままごとなど)、ほか。
イリンクス(めまい) :メリーゴーランド、ジェットコースター、ブランコ、スキー、ほか。
一面において、「遊び」は人生に不可欠の資質がベースとなっている。アゴンは闘争本能、アレアは決断力や胆力、ミミクリは模倣本能、イリンクスは不快感にたえる忍耐力を必要とする。したがって、「遊び」はこうした人生に不可欠な資質を無駄遣いしながら、それを鍛錬する場ともなっている。