プログラマをクソコードで殴り続けると死ぬ
クソコードには独特の匂いがある。コメントなど一切なくとも、そこに無力な兵卒が強大な化け物と戦い、爆発四散したような跡がある。
あるいは迫り来る時間と膨れ上がった仕様との絶望的なせめぎあいが見える。
その戦場の跡であるクソコードは、あたかも枯れ木が点在する荒れ地を思わせる。おそらく地面の下には無数の死体が埋まっているのだろう。
クソコードは、プログラマの体内にじわじわと侵食して、彼の中にあるTDDとかDIとかデザインパターンといったような煌めくようなプログラムパラダイムの美しいものを押しのけ、代わりに居座ろうとする。 まるでコピー&ペーストと、場当たり的にViewに埋め込まれた複雑なロジック、膨れ上がったコントローラー、複雑怪奇なSQLである我々こそが、机上の空論でない、実際に動作する、プログラムの本質であるとばかりに。
クソコードが内包しているメソッドは単純明快だ。とにかくその場しのぎということだ。
自分もそうすれば良い。大きく書き直すのは、リプレース案件が来て充分に人手と時間がとれてからでいい。と。