ユーモア
#かためな話題
ユーモアとはなんぞや、というのは私自身も昔から考えていたところでした。
奇抜なことをいうこと、と当初は思っていたのですが、どうやら違うらしい。
そもそも会話が成り立ったうえで、打点の高いことを言うというのがユーモアときっても切れないところにあるのだ。と気づくのにかなりの年月を要しました。
コミュ障だったころ、言いたいことをただ言ってただけ、というまあ普通のオタクだったわけですが、プレゼンテーション Zenに出会ってから、言葉のシンプル化というのに取り組むようになっていました。
材木から仏像を削りだすように、この話の趣旨・言いたいことは何なのかというのに向き合っていた時期がこれまた長い時期ありました。
今の仕事に転職して、IT以外のエンジニアと話すようになって、「コミュニケーションが冷たい」と言われることが出てきました。
IT系は余計なことを言わずに、きちんと話の本論から入るというのを徹底しているわけですが、そういうのに慣れていない人からすると機械的な、冷たいコミュニケーションと受け取られていたようです。
当時文芸の畑の女に惚れていたこむぎが読んだ本の中に三島由紀夫の作家論という本があります。
森鴎外、谷崎潤一郎、川端康成ら作家15人の詩精神と美意識を解明。『太陽と鉄』と共に「批評の仕事の二本の柱」と自認する書。〈解説〉関川夏央
この作家、こういうイケてる表現ができてこの言い回しは彼にしかできないというのを紹介する本なのですが、ここから学んだこととしては、形容詞的な・文芸的な表現によって言葉の個性が表現されるという側面もあるというところかなと。
IT系的な、コンサル的なコミュニケーションは誰が読んでも論点がぶれずに同じ受け取り方ができるところに、フォーカスされていて、どういった論点を出すかが個性なのですが、仕事の場でない場合はむしろ言葉の個性のほうが重要なのではという気持ちでいるようになっています。
話の脱線をさせずに、どう脚色するかが、個性。すなわちユーモアなのではというところが今考えているところになります。
脚色の仕方については別の記事を書こうと思います。