slides: ボードゲームはコミュニケーションツールか?
道具
手入れとは、
人の手が入らないまるっきりの自然ではなくて、少しだけ人工の側に引っ張ること
里山とか
養老孟司の語だそうで『手入れという思想』
自然は、ここではnatureではない
思考それ自体が道具を研ぐことに相当するのだから
木こりのジレンマという寓話とは
1. 木こりが刃こぼれした斧で木を切っている
2. 通りがかった旅人が「刃を研いだ方がいいですよ」と言う
3. 「刃を研ぐ時間をとれない」と返答する
ロボットやAI相手に怒ると、どんな問題があるだろう?あるいは問題ない?
という問いが浮かんだ。
人間相手に怒りが湧いたとき、
そのまま人間に怒りを向けていい場面は限られるのでは
ロボットやAI相手だと何か変わる?
/nishio/文字情報は本質ではないを読んで思ったこと
SECIモデルは企業活動における知識創造理論/ナレッジマネジメントの文脈でのものだから、世界認識の説明には不適ではないだろうか?とまず思ったが…
学会の定義個人の信念を社会的に正当化すると接続しそうな気もする
「自転車を倒れずに操作して前進させるための操作」を「認識」しながらもその操作の言語化は身体的操作ゆえできないかもしれないが、