正統性と正当性
日本語ではどちらも「せいとうせい」と読む。
政治学、法学、倫理学などの文脈では、この2つは明確に異なる概念として使い分ける。
正統性とは、根拠に基づく承認を受けることによる正しさのこと
何らかの支配、権威、秩序などが、適切とみなされる根拠(血統・慣習・制度などの正しい手続き)に基づき、人々から「正しい」と承認されていることに焦点を当てた概念。
legitimacyの訳語として使われる。
使用例:
王位の正統性
先代王の正妻の子である、という血統や伝統ゆえ
政権の正統性
民主的な選挙という制度的手続きによって選ばれ、その統治が正しいものと承認されているゆえ
正当性とは、内容の正しさのこと
ある行為や主張が、「道理にかなっているか」「道徳的に正しいか」という風に、内容そのものの質に焦点を当てた概念。
rightness, justness, justificationの訳語として使われる。
使用例:
自己防衛の正当性
襲われたから反撃したという、道徳的あるいは状況的な妥当性ゆえ
主張の正当性
その意見が事実に基づき、論理的に筋が通っているゆえ
ケーススタディ1: 合法性があり、正当性がないケース
一昔前のこと。明らかに残虐非道な飲酒運転に対して。
危険運転致死傷罪が、当時の法律の条文では適用されなかった。
そして、それよりも罪の軽い過失運転致死傷罪で、裁判での判決が確定したことがあった。
このとき、「合法性はあるが、正当性はないのでは?」という議論となった。
このケースでは、「合法性(ルールとしての形式)は保たれていたものの、「社会的な正当性(正義としての実質)が十分ではないと受け止められたと言える。
合法性の観点
法(ルール)を無視して重罰を下すことは、法の支配を損なうため、当時の法に従うしかなかった(合法性の維持)
正当性の観点
しかし、人の命を奪った悪質な行為を「過失(不注意)として扱うことは倫理的に問題があると考えられた(正当性への疑問)
現在では法改正があり、飲酒運転の罰則は厳しくなっている。
なお厳密には、ここで問われたのは「正統性」よりも「合法性 legality」。
合法性は、「現行の法律・条文に適合しているか」という、より狭い概念。
ケーススタディ2: 正統性があり、正当性がないケース
1933年のワイマール共和国。ナチス党が、民主的な選挙プロセスを経て、合法的に政権を獲得した。
正統性の観点
政権獲得の手続き自体は、当時の民主的なルールに則っていた。
手続き上の正統性は、(少なくとも成立当初は)保たれていた。
正当性の観点
しかし、その後の政策(ユダヤ人迫害や全体主義的支配など)が、正当性を根本から欠いていたことは言うまでもない。
このケースは、「民主主義は民主主義を殺せる」という問題意識とも繋がる。
正しい手続きを経て選ばれた権力が、正当性のない行為を行ったとき、その権力の正統性はどこまで保たれるだろうか?
正統性と正当性は、元来支え合うものだけども、この二つが乖離した極端な歴史的例。
ケーススタディ3: 正統性がなく、正当性があるケース
ガンジーやキング牧師の市民的不服従運動。上記2つのケースとは逆。
彼らは既存の法律(正統性の根拠)に意図的に違反しながら、道義的な正しさ(正当性)を主張した。
正統性の観点
法を破る行為である以上、法秩序の観点からは正統性を欠く。
正当性の観点
しかし、その行為の目的(人種差別への抵抗、植民地支配への抵抗)は、多くの人々から道義的に「正しい」と承認された。
正統性と正当性のどちらが優先されるべきかという、規範的な問いが提示されるケース。
余談
「正義 justice」の語源を辿ると、just(ジャスト、ちょうどいい)の語に行き着き、そこにはバランスや釣り合いといったニュアンスが含まれる。
そのため、justice は、公平さや均衡を重視する概念として理解されることが多い。
日本語では、フェアや公正という意味に近い。
法を犯した者に対して、重すぎず軽すぎない「釣り合いの取れた」報いを与えることが「正当性 justness」の根源的なイメージの1つと考えられる。
裁判の象徴として天秤が用いられるのも、この均衡のイメージと対応。
正義の味方とは、この文脈では(悪役を、単に一時的な感情や一部の立場の擁護から、問答無用にやっつけるヒーローのような存在ではなく)、崩れた社会のバランスを回復しようとする者だと解釈することもできる。
その意味では、特定の立場(悪役側や民衆など)だけでなく、社会全体にとっての「正義」の回復を志向する存在ともいえる。
ただし、justice の理解や「正義」の意味は、文化や思想によって多様。
例えば東洋思想(荀子など)における「正義」は、人としての“道”や“善”といった側面を強調することがある。
一方で、西洋思想にも、アリストテレスの徳倫理など、内面的な徳や人格に重きを置く立場が存在する。