心境を吐露すると怒られて困る
という内容のツイート
「こんなことを考えてしまわざるを得ないくらいの心境だ」ということを伝えたいがゆえに「こんなこと」について語ってしまうと、「「こんなこと」を考えるなんてとんでもない」と怒られたりするのだ。
自己開示の安全性担保をファシリテーターがどう担うか? という話でもある
こんなことには、何をたとえば当てはめられるだろうか。
「死にたい」
who-blue.icon 「『死にたいと考えてしまわざるを得ない心境だ』を伝えたいゆえに、『死にたい』と語ると、『死にたい』と考えるなんてとんでもない、と怒られた」
これはちょっとわかる。terang.icon
まずは「ああ、「死にたい」という気持ちなんだね」と受け止めるのが傾聴だと理解しているが、「とんでもない!」と言ってしまう人の気持ちもわかる。
もう少しカジュアルなワードは入らないか?terang.icon
「会社辞めたい」
who-red.icon「『会社辞めたいと考えてしまわざるを得ない心境だ』を伝えたいゆえに、『会社辞めたい』と語ると、『会社辞めたい』と考えるなんてとんでもない、と怒られた」
会社辞めたいという直接的な語りは避けられるべきシーンもあるかもしれない。 もっとカジュアルなワードがありそうterang.icon
「今日は仕事をサボっちゃいたい」
who-yellow.icon 「『今日は仕事をサボっちゃいたいと考えてしまわざるを得ない心境だ』を伝えたいゆえに、『サボっちゃいたい』と語ると、『サボり』と考えるなんてとんでもない、と怒られた」
who.icon「周囲は否定しなければいいのではないか?」
「今日は『否定しない』というルールでお願いします」はよく見かけるterang.icon 「グランドルール」とか言われる。
グランドルールを提示すれば、すなわち同意を得られたと勘違いしてはいけない 同意を明示的に得たのだとしても、
そのルールは本当に守ることができるルールなのか?
ルールが破られたとき、あるいは誰かに「破られた」と映ったとき、その当人がバツの悪い思いをしないか? その当人は「ルールを破ってしまった」といまここにおいて自覚しているか。 ルールを破った者だけではなく、破らせた周囲も影響すると、ファシリテーターはその場を観察する。当然、破らせた周囲にはファシリテーター自身も含まれるのだから、真っ先に振り返り率直な心情を述べることが必要。
そもそも「否定しない」を実践できるとは?
言葉では肯定していても、身体反応が否定することは、起こりうる
「否定しない」の他にも、たとえば「相手の話をききましょう」も「全員が平等に話しましょう」も、まったく同じ構造
「なるべく否定しない」と言葉を軟化させてたところで本質は変わらない
とんでもないと、つい反応が現れるようなギョッとするような内容であれば、
多くの人にとって不意の反応は、通常避けられない
その思わず起こった(「否定」も含む)反応が、そこで起こっているコミュニケーションのダイナミクスを紐解き相互理解を促す手掛かりとなることは多い
対人援助の訓練を、みなが受けているわけではないし、よしんば受けていたとしてもいつも実践できるとも限らない。 自己開示が起こりうる状況のあとに、「『否定しない』をどの程度自分はできていたか?」を一人ずつ振り返り、その振り返った内容を伝え合うような順序を、権威者(多くはファシリテーター)が事前に設計しておくことは現実的。 理解の4類型を当てはめるとどうなるだろうか?
「サボっちゃいたい」を例に。
評価的理解
サボると考えることは〝悪い〟と評価した
分析的理解
なぜサボりたい心境なのか?と分析する、あるいは、質問する
同調的理解
自分もサボりたい気分なんだよね、わかる。と同調する
共感的理解
相手と同じように今日は仕事をサボっちゃいたい気分になろうと試みる
実現困難なことは、共感的理解ばかりしていると自己を見失いがちである点
カウンセラーにスーパービジョンが必要なゆえん
どの理解で相手を捉えたとしても(それが評価的理解であっても)、次点で怒られたと相手に映った振る舞いを、当事者で集まって話し合うことを促すのが現実的と思われる
これは小文字の組織開発的なアプローチ
その場のミクロな人間関係のダイナミクスが、フラクタルに組織全体に影響しており、その組織全体の風土が、職場の小さなコミュニケーションに強く影響し続けているケースは存外多いもの