「種しあれば」をめぐって
この歌の冒頭「種しあれば」というのを私は最初「種があるので」と読みました。でも参考書にあたると「種があれば」と解釈しています。「種があれば」という意味にするなら「種しあらば」ではないかと思うのですけれど。"種があるから、固い岩であっても松は生えるのだ。私はあの人を恋し、恋し続けているのだから、きっと逢える。逢えないということなどない。"ということかなと考え中。 現代文しか知らないと「恋をし恋ひば逢はざらめやも」は呪文のように聞こえます。「恋」は別ですけれどね。「恋をし」まで現代文の感覚で読むと「ああ、恋をする」ということかなと誤解をしてしまいますが、この「し」は強意を表すものだそうです。 「恋をし恋ひば」は「恋い続けたならば」。「恋ひば」は「恋ひ+ば」。「恋ひ」はハ行上二段活用「恋ふ」の未然形。…というのは暗記しているわけではなく、いま古語辞典を引きました。活用は〔ひ・ひ・ふ・ふる・ふれ・ひよ〕。「恋ひ」だから、未然形または連用形のはず。そこで「ば」を調べます。 接続助詞「ば」は未然形か已然形につくとありますので、「恋ひば」の「恋ひ」は未然形と確定します。では未然形に付いた「ば」は「恋い慕う」という意味に何を添えるのでしょうか。辞書を見る。
すると、順接の仮定条件として「もし…ならば」という意味だと書いてあります。ということは「恋ひば」というのは「もし恋するならば」という意味になります。「こひば(読み方はこいば)」という三文字でそれを表せる。
「恋をし恋ひば逢はざらめやも」のうち前半は解読完了。後半の「逢はざらめやも」はつらい。「逢は+ざら+め+やも」。「ざら」は確か打消だな、「め」はたぶん「む」だな。「やも」って何だっけ。ということで古語辞典を引いていきます。
「逢はざらめ」まで読むと「逢わないだろう」とか「逢わないのがいい」とか「逢うべきじゃない」という意味になってしまう。はてな? 「もしもあなたに恋すれば逢わないだろう」とはどういう意味じゃ。そこで「やも」を見ると「反語」だと書いてある。これで謎がとけました。
反語なので「あなたを恋し続けたならば逢わないなんてことがあるでしょうか。いえ、そんなことはありません」というほどの意味になる。
古語の活用を覚えると、歌のニュアンスまでを正確に(しかもある程度理詰めで)とらえることができます。すてきな話ですね。なので、私の「古今和歌集を読む」では文法の簡単な解説を必ず載せるようにしているのです。 ところで私のチャレンジは、「逢はざらめやも」という部分を見たときに、現代語を介さずに意味を理解する感覚を養うというものです。たとえば「ざら」を見たときに打消の気持ちになるのはできます。「め」も何とか。でも「やも」は今回、反語の気持ちになれなかったので何度か繰り返し読みました。 自分で品詞分解をやって古語辞典を調べて簡単な解説を書いておくと、あとで読み返したときに非常にわかりやすい(自分が書いたのだから当然)。なので、ときどき読み返して「現代語を介さずに意味を理解することができるか」を自分でテストしようと心がけています。 もちろん忘れていることや意味がわからないことも多々あるのですが、気にせず楽しんでいます。別に試験を受けるわけではなく、楽しみとして読んでいるからです。