苦行礼賛
結果は同じでも、より苦労した方が価値があるという考え方。
学校やPTAをはじめ、日本社会においてはアルアルな文化。
(くぎょうらいさんって読みます)
同じことならなるべくコストをかけない労働生産性や合理性とは真逆の考え。
現金寄付するより、ペットボトルの蓋やベルマークをあつめる。
手書きの方が温かみああってよい。
小学校の算数で、計算式は定規をつかって線を引かないといけない。
薬を飲まずに風邪を治した方がえらい。
たしかに何かすごいことを成そうとすると、必ず苦労が伴う。
では苦労し、労力をかければかけるほど、物事の価値はあがるんでしょうか?
苦行礼賛では、主目的は脇に置いといて副次的な効果をあげて正当化することがよくあります。
定規を使って線を引く子の方が学力が伸びる、組体操は子どもたちの精神力や忍耐力や一致団結が…とか。
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本来の苦行は、悟りを開くためにやってるのでいいのかな?