実は誤用されがちなことまとめ
元々意図していたことを離れて、誤用されがちになってしまうことって意外と多いです。
ちょっとまとめておきます。
ほう・れん・そう
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「報告」「連絡」「相談」の頭文字をとってほうれんそうと言われます。
上司への報告がされてない場合に「ほう・れん・そう」ができてない!と叱られたりしますよね。
このように、報告や連絡を頻繁にしなさいというニュアンスで使われることが多いです。
しかし、元々はどちらかというと管理職側へ向けた言葉で、「ほうれんそう」がしやすい風通しの良い職場を作ろうという意図だったそうです。
言葉は独り歩きしてしまうので、言葉にない意味は薄れていって上司へ「ほうれんそう」をしなければならないに変わっていってしまったんでしょうね。で、逆に風通しがわるくなると…。
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破る(改良する)、離れる(新たに創造する)に行きつくために、その一歩目として守(型)を学ぶ。
本来は破離に至らず、守だけではダメなんだよというニュアンスも含まれていると思います。
でも基礎をみっちりやらないと破離に移ってはいけないという意味になっていませんか?
”守”をまもっていないとあの人は基礎がないなどと批判の材料にしてしまったり、知ってる知らないでマウンティングしちゃったりとか。
守をまもるほうが比較的簡単。
破離は難易度高いので、難易度高いことに挑戦し始めた人を、そこへ行けないひとが批判するのは当然の感情かも。
天は人の上に人をつくらず
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でも、現実には差があるよね。その差はなにか?学んだか、学ばなかったかの違い。学問を学ぼう!
現代では、人はいつでも平等みたいなニュアンスで使われることが多い。
でも、本来は「学びで差が出る」ことを強調したかった一節のはずです。
耐えがたきを耐え、忍び難きを忍び
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私は、戦時中の国民の苦労に天皇が同情したの言葉なのかとずっと勘違いしてました。
でも本当は、
”敗戦後のこれからもっと大変になるけど、「私(天皇)は」耐えがたきを耐え忍び難きを忍ぶので、みんなも頑張ろう。”
賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ
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誤用というか、意訳が過ぎて誤解されちゃってるというか。
初代ドイツ帝国宰相 ビスマルクの名言。
直訳だと
「愚者だけが自分の経験から学ぶと信じている。私はむしろ、最初から自分の誤りを避けるため、他人の経験から学ぶのを好む。」(wikipedia)
愚者は自分の経験のみに学ぶ。賢者は他人の経験にも学ぶ。
言い換えるとこんな感じかな。
One for all, All for ONE
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最後のONEは一人のことではなく勝利や目標のことらしい。
「一人はみんなのために、みんなは勝利のために」
日本だと、滅私奉公や全体主義が過剰になる傾向があってネガティブイメージがある。そのため、違う風に訳されたのかも。