250505
WRM760
本を読む時間が減り、原稿を書く時間が減り、ぼ〜っとする時間が減り、家のことをやる時間が減り……。
とても興味深いことが書かれていた
倉下さんが書くことと日々の営みの関係性について書かれることはあまりないからだ
書く必要がない、セルフマネジメントできている状態だったと言えるのかな
これを読んでいると倉下さんも人間だった、と安直に感想を述べることもできるけど、違う
自分のような凡人は、さっさとあきらめる
うーん。今すぐ言語化できないな、とあきらめる
時間がないからというよりも、言葉にできない小田和正状態
倉下さんは誘発されて蛇口が開きっぱなしになるような感じがする
自分は感じという曖昧な言葉をよく使うが、基本的にロジカルでなく、感覚的、感情的、エモーショナルだから、そういう物言いになる
ちゃんと自分の変化を掘り下げて言語化を行い、メルマガにも書いてしまう
やはり揺るぎないセルフマネジメントを見せられている
けっきょくこの惹きつけられ方は、直近の話でいうとダーウィンと同じだ
自分は倉下忠憲という人の生き様に興味があるのだな
ここには自分の致命的な弱点もありそう
好きではない人の話はほとんど頭に入ってこない
もっといえば拒絶
仕事では支障でるよね
本を読んでいても、著者の好きじゃないところが見えてくると、読み進めるのがしんどくなり、やめてしまう
本の帯に好きじゃない人が絶賛してるとか書いてあると、手に取らないってのもある
人が見えない文章、例えばAIが書いた文章は読むのがしんどい
好きか嫌いかだけじゃないな、という気づきもあったので書いておこう
好きじゃないけど、なんだか気になる人ってのもいるのだ
犯罪者がなぜ、その罪を犯すに至ったのかとか
まったく好きではないけど、その生き様には興味が湧いてしまう
犯罪者自身が書いた本とかは、嫌なところがあっても読み進められる
これは倫理観から、好きだとは言えないが、好きなところを見出してしまっているということもあるのかもしれない
いやーないかな。ちょっとわからん
こういう明らかに関心が強いテーマはCosenseでページを分けた方が良いのだろう
長文で書き残したほうが頭を整理できるのかもしれない
長文で書きたいなと思うことを、流してしまう、埋もれさせることがないような工夫ぐらいはしておいたほうが良い
人のCosenseを見ていると、面白いなぁ、やりたいなぁという気持ちが湧き上がってくる。
これは慎重に扱うべき衝動
テクニカルなことは、好きだけどあんまり得意ではない
喜んで高い財布を買って、中に入れるお金がない、みたいな状態にしてはいけないのだ
めっちゃテクニカルなことをがんばって、中身は何も入ってないというのは、ブログでよくやっていたなぁ
あれはあれで楽しいからいいんだけども
もっと昔に遡れば、ホームページがそんな感じだった
誰も見てないホームページをめっちゃこだわっていじっていたな
ぜったい好きなことだとわかってるけど、手を出すと生活が崩壊するのでやらないことはたくさんある
「じいじ ばあば」に虫酸が走る?
という記事を読んでたら、千葉雅也さんが登場してた。
「『じいじ ばあば』は、『おじいちゃん おばあちゃん』という言い方が世代として『もう老年である』を意味することに対する拒否、否認である
何も考えてなかったな
ただ、自分が主導権を握って使い始めたわけじゃないしな
自分の中からは出てこなさそう
さまざまな意味で世の中のたがが外れていく、非常に微かな一端がそこに見える。
じいじ、ばあばの話がここまで発展するのか
面白いなぁ
少し似たような話として、会社での管理職に対する「さん」付けがあるかも
最初抵抗あったなぁ
部長とか課長とかで呼ばない人のほうが多くなっていつのまにか慣れた
兄弟みたいに仲が良い親子とかも類似の話かな?
最低限守るべき一線って、もはやよくわからなくなってる気もする