プラットフォーム最適化
おそらく現代の絵描きのかなりの部分は如何にTwitterというプラットフォームで数字を取るかという方向に最適化して訓練を積んできたはずなので(縦構図優位、人物をできるだけ大きく映すなど)、Twitterを離れて活動するとなるとイラストの根っこの評価基準ごと刷新を迫られそう、と想像していた。
音楽にしたって8分の曲とかはもう誰も滅多に作らずボカロなら2分半〜3分半くらいに収まってるものが大半だと思うけど、これもYouTubeとかTikTok、Spotifyみたいなプラットフォームに最適化した結果であって、それらが無かったらもっと音楽の長さはバラバラだった可能性もある。(逆に音楽も8分以上だと収益が増える……とかやってたら突然長編音楽が主流になってたかも、とか。)
なんにせよ、プラットフォームの欲望に縛られず、自分の中に目指すべきものを持ってる人間が(逆に)強い時代だな……と思う。プラットフォームの中にいると一瞬で同じ形に整形される圧力が加わるような感覚がある。そこを耐えればもはやXが無くとも問題はない。逆に、特定のプラットフォームで生き延びる方向に最適化することのリスクが、インターネットがはじまって以降最も浮き彫りになった瞬間のようでもある。
例えば突然YouTubeが何らかの理由で使えなくなって、SpotifyとかSoundcloudとかBandcampが中心的な音楽プラットフォームになった瞬間すべての(YouTubeを拠点にしていた)ボカロP(に限らずだけど)は曲作りの脳みそをまるっと変える必要に迫られるわけで、しかしそういうことって全然起こり得るよな、と改めて思う。
Not sure if that's really what you mean but I noticed it with Vocaloid MVs aesthetics too. For example, jon-YAKITORY only blew up in recent times when he made one of those "meme animation" character faces the camera, bops to the beat and changes quirky facial expressions everys second 2 min songs.
it feels like you can't get proper views and revenue in today's age if you don't make 2 minute long songs like this especially with Teto vocaloid producers. Almost every one that attempted it had it explode in popularity in exception of like Eipu who blew up from a fully animated Teto song.
ボカロMVの美学、いいワーディング。プラットフォームやカルチャーの傾向に即したバズへの最適化は美的価値観の領域にまで浸食する ここら辺の記事を思い出す