「公的なもの」って何?
同人誌や私家版を作って、楽しいし、経済的にも死なない程度にやれる。
だけど、なにかこれまでの出版とちがう感覚があり、それがなんなのかわかった。
公的なものへのアクセスだ。
商業出版の数千部というのは公的になにかを発表して影響を及ぼす可能性がひらかれている。
だからこそメディアもとりあげる。
対して、同人誌はほとんどメディアにとりあげられないし、私的な領域にとどまってしまう感じがある(……とはいえ、ぼくらが作ってる「エリーツ 短歌VS小説家」、は新聞の歌壇欄で紹介された。これは歌壇と同人文化の近さもあるだろう)。
しかしここで言う「公的」とはなんなのかと考えると、結局のところ新聞やテレビなどの大きなメディアでしかない。
でも、新聞を読んでるのはかなり上の世代だ。SNSやネットじゃだめなのか? そっちに「公」をひろげることはできないのか?
結局、決定権のある年長者にリーチするメディアが公ってことでいいのか? クソすぎる……とはいえ、両方を攻略しなければ本当にパブリックなものにはならない。
でもなんで公にアクセスしなけりゃいけないのか? 私にとどまってていいじゃん。とも思う。私的なものをつきつめたさきに公になるのが文学だったんじゃないか。
自分が安心したいだけなのか? 承認欲求なのか?
そうでもありそうじゃない。
社会のなかで価値がある仕事をしたいという想いと、価値なんて一切なくてもだれかひとりがそれを見い出せばいいという想いの両方がある。
私的活動と同時に、やっぱりちゃんと公的に成功する作品も生み出したいと思っているんだな……という俺自身の問題はおいといて、
今の時代の公とはなんなのか?ネットと新聞でいいのか?
私的であることと公であることがまじりあいすぎて、そのことが見えなくなっているからこその可能性と問題。
追記
昔のLIFEでこんなテーマなかったか?と思ったらこれがちかいかも。
聞き直そう
大手で出版して届けられる最大の「公的なもの」は、本屋の「新刊」コーナーだと思う。
書店のネットワークもまた公的なものですよね。